パソコン通信時代 & 『新ジャポニズム産業史』 | Hiroshiのブログ

Hiroshiのブログ

今後不定期投稿となります

<数値目標>
https://www.duolingo.com/learn
黒曜石リーグ +60XP,50999XP,学了二十二分钟的汉语。

https://www.youtube.com/watch?v=svq8CaeWyqU&list=PLrWxcegPNiyj-M05glrorpUrXekNDKejm&index=8
HSK3 #6~8 背了四十四分钟的单词。

https://www.youtube.com/watch?v=93VZUEQE5xk&list=PLptBftnEqNSP4eyqd7AoaasDHnIttFEXd&index=1
【完全版1~1200】HSK5,1h9min, 背了二十五分钟的单词。

https://www.youtube.com/watch?v=UIp_M-HgUSU
李姉妹ch,看了十一分钟的李频道。

https://www.youtube.com/watch?v=-3vWwUSK-pg
チャイナ娘くまちゃん,背了十九分钟的频道。

https://www.youtube.com/watch?v=L60CpkTPo6A
Eko,~2h9min,听写十八分钟。一共两个小时十九分钟。

运动;爬山散步,4km,6026步,7楼。

午後から公民館関連のメンテナンス点検に立会い、あまり勉強時間は取れなかったが、これは「お勤め」なので仕方ない。公民館は築30年以上、いろいろ修理とかにお金がかかりそう。いっそのこと、公民館は統合して近代化、高度化したほうが良いように思う。



各地区がそれなりの積立金を準備しているのだから3階建くらいにして、ジムなども完備した立派なものを作ったら良い。聞くところによれば現在、この町で40近い自治公民館があるとか。半分以下にしても良い。因みに現在担当の公民館は、ほぼ400世帯をカバーしている。4万人の人口を持つ町なので世帯数が2万世帯弱と考えれば、全部で40か所というのは納得だ。因みに私の家は隣の2区公民館の方が距離的にずっと近い。




<私のインターネット開通時代>
下記の「2ちゃんねる」の話題で思い出し、埃をかぶったパソコン通信マニュアル本とUNIX入門書を本棚の下に雑然と重ねた可燃ゴミの山の中から見つけた(汗)



私がインターネットに接続し始めたのは90年~94年の間だと判る。それは90年の連絡先にはメールアドレスがないが、94年に研究室のメンバーに《得意げに》ネット接続法を伝授する記述がある。そして先のUNIX入門書は92年出版なので、おそらくその頃。
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/1181/trackback

当時はUNIXコマンドベースだったので結構大変。だけどそれを一応マスターしたことが余程嬉しかったと見えて、操作法を一通り説明した最後に、

『しばらくすると接続され"Fetch "のウインドに入力されるのであとはConferenceを選び情報を入手する(簡単でしょう?!)』

と最後に余計な言葉(笑)を加えていることからも判る。但し、国内的、日常的にはインターネットでなく、パソコン通信主体だった。海外へ直接接続するには複雑なコマンドを繋げて(パイピングと言った)やるので大変だったが、ニフティーから米国のコンピュサーブ経由(追加課金必要)で繋ぐ方が簡単だった。

その後、画期的なモザイク(ネットスケープの前身)が使えるようになって世界が変わり、直接にかつ簡単にインターネットに接続出来るようになってパソコン通信はやめてしまった。

今はもうパソコン通信などはないだろうが、その後どのようにパソコン通信の世界は変わったのだろう? ご存知の方がおられればコメント希望です。




『新ジャポニズム産業史』
マット・アルト著、日経BP、2021初版。

冒頭著者は日本を「課題先進国」と言う。p6 つまり、バブル崩壊、政治的カオス、若年層のバーチャル逃避が今、世界中に広がっているからだと言うことだ。p21 

しかし、これは逆に言えば「その課題を解決する道を見つければ文字通りの先進国になる」ことだ。

この本を読み始めたきっかけは、あの「論破王ひろゆき」氏のことが書かれているのに注目したから。9章の「反社会的ネットワーク、2ちゃんねる」から読み始める。

「2ちゃんねる」は以前より知っていたが、そのアーキテクトは極めて原始的で大昔のパソコン通信のスタイル。この著者も「当時の基準からしてもかなり原始的」だと言う。p360

今の人は知らないだろうが、インターネットの前はパソコン通信しかなかった。私もニフティーにアドレスを持ち、ダイアルアップで「ピポパポパ」という信号音でアナログ回線に接続していいた。

海外に接続する時は、二フィティーが提携するコンピュサーブ経由で、追加料金をかけて接続する形式。インターネットに直接接続出来る様になってからは勿論パソコン通信はやめた。時期としては多分1992年頃ではないだろうか? それは現在も使っているメールアドレスがAOLになった時期でもある。