『中世ヨーロッパ』12 | Hiroshiのブログ

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今後不定期投稿となります

<同じものを3年前に観たのだが…>
『小さな村の物語、イタリア』土曜の夜の番組は特に良かった。12年後の村の物語。場所は北イタリアの東の端、オーストリアとの国境の町フォルニ・アヴォルトリ。あのフリウリの土地。
https://www.bs4.jp/italy/articles/rti5g68x9txso4af.html
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/5822/trackback

最初の訪問は2009年だが、それから2021年の現在、色々なことが村の住民に起こった。戦争博物館のジャコモ、第一次世界大戦の山岳部隊の歴史を残そうと1人で頑張っていたが、今では2人の協力者を得て頑張っている。この間、妻はリュウマチを悪化させ、今では家事全般を彼が受け持ち、看病もしている。それでも彼らは幸せそうだ。

カルメンは夫を癌で失った後、苦労したが今では子や孫に囲まれ幸せそうだ。そんな中、彼女は去年コロナに罹った。ようやく回復した今、花壇に水を蒔くのが楽しみ。



日曜朝は再放送。今度は逆の西の端、フランスとの国境の町、モンテグロッソ・ピアン・ラッテ。
https://www.bs4.jp/italy_encore/articles/slep7z282lcfiq1t.html

ドナテッナは大工の夫と一緒に2人の子供を育て、ヤギや鶏の世話をしながらアグリツーリズムを起こす。このコロナの時期、どうやって乗り越えてきたのだろう?*

ヤギの山の中の放牧は大丈夫かと思ったが、どうやら囲いに電気を通してヤギが勝手に出ていかないのと、野生動物の侵入を防ぐ機能があるみたいだ。

元サンレモ(あの音楽祭の)の高級ホテルマンだったレナードは60歳で引退し村に帰ってきた、年金暮らしだが、毎日自分で食べる分の野菜は作っている。今の生活に満足しているとか。

この後、どこかで見たような風景(ジャガイモ畑のシーン)が出てきた。それで村の名前で検索したら出てきた!! でも二度見でもOK!
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/5482/trackback


それしても、全然別のところに視点が行くのは面白い。そして物語=ストーリーはその都度自分の頭の中で作り出すが、視覚情報(1シーン)は記憶にそのまま保存される?? これは脳機能の深いところに関係するような気がする。

う~ん、それにしても羨ましい。年金をもらい生活には苦労しないが、語学勉強と読書で過ごす毎日は少し退屈だ。第二の人生は別のところにあるような気がする。ま、時期を見てということだな。それまでは地元のソーシャル・キャピタルの充実に頑張ろう。

* 昔の再放送だったのでコロナ下の話がなかったのだ。これが残念。


さて、今日はオフ日。午後からまたいつものモールのスタバ行き読書三昧かな?




『中世ヨーロッパ』12
最後の章はペスト、黒死病に関わること。今のコロナ禍とも微妙に重なる話題。

あの有名な嘴をつけた医師の装束、スタイルが17世紀までしか遡れないと著者は言う。p332 多分それは事実なのだろう。しかし、あの衣装は今では非常に有名になっている。

ペストは歴史的には、AD540年頃に最初の、そして有名どころは,AD1346年頃から猖獗を極めたと高校世界史では覚えた記憶がある。この時期、ヨーロッパの人口の3割近くが失われ、これがもとで農奴、農民の地位が高まり、封建体制は崩壊したと高校世界史では習ったところだ。この疫病は一回だけでなく14世紀以降から4世紀にわたり間欠的にヨーロッパを襲った。

この時期を通じ、ヨーロッパでは医学的というよりは宗教的な儀礼=宗教行列による「罪の赦し」を行ったとされるので、当時キリスト教はペストの流行を「罪の結果」として捉えていたのは間違いない。p343


最後にこの本の主題からは離れるが、非常に重要なことが書かれていた、以前にもここで述べたが繰り返し記載しておく。それは、

『今、書店には「〇〇の歴史の真実」という言葉が踊っている。混迷極まる時代にあって、過去に真実を求める心性…  (訳者が批判した当のこの本を読んだ)読者はもはや、そうした言葉に踊らされることはないだろう』p377

確かに世の中には、特にネット広告にはこの手の「〇〇の歴史の真実」というのが多すぎウンザリする。古代から近代に至るまで十分な史料もないにも関わらず、現代人の感覚と価値観で過去の事柄を勝手に推測することがあまりにも多い。しかも明らかにイデオロギー的な偏見を持って語られる似非歴史学。全く《下らない》の一言。