<数値目標>
https://www.duolingo.com/learn
ダイヤモンドリーグ +207XP,39284XP,三十三分钟。
https://www.youtube.com/watch?v=-aNrg-q3u7w&list=PLrWxcegPNiyj-M05glrorpUrXekNDKejm&index=9
HSK3~4 #7~9 背了四十一分钟的单词。
https://www.youtube.com/watch?v=e6SYndTfwn4&list=PLrlwIJ5o0QFih1_09vLSwFuN1i5bcd6EH&index=47
Kazu Shanghai Life。#76,四十二分钟。Sony先生,参考吧!
https://www.youtube.com/watch?v=9vuBfMx3P2s&t=782s
HKS5,背了一个小时十一分钟的单词。继续努力很刻苦!
https://www.youtube.com/watch?v=bjVfOE576RU
李ちゃん,十一分钟。
https://www.youtube.com/watch?v=VHnhDAqG1Sk
ヤンチャンCH/楊小溪,五分钟。
https://www.youtube.com/watch?v=xckSUkWXVWA
ケンドラ・ランゲージ・スクール,0~6min,听力练习六分钟。说慢一点儿的时候,还可以。但是,自然说话的时候,听不懂(流泪)
一共三个小时二十九分钟。
运动;一堂Salsa课。
天神の格安駐車場は解除にともないかなり混んでいたが、かろうじて駐車できた。効果は絶大。
<中国の停電の不可解さ>
これについては明日にでも改めて議論したい。何か外部に見えないところで何か起こっているような予感がある。
<非協調性と好奇心>
真鍋淑郎氏がノーベル物理学賞受賞を受けることが決まった。米国プリンストン大での式典で何故、米国に戻ってきたかとの質問に答えて、
<日本で周りに協調して自分の好奇心に従い研究をやるのが難しかったから>
といようようなことを述べられた(私の聞き取りが間違っていなければ)これは2つの重要な指摘を含む。
1つは:
日本社会では「協調」が重要視されるという点。たまたま先日「発達障害の人に向く仕事として研究が向いている」としたが、このことと正に関係する。
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/6704/trackback
しかし日本では依然として大学院生の募集に関して「豊かな社会性をもつ人物」を掲げるような状況だ。 そして、
『社会性に欠けるからこそ「研究に賭ける」という若者がいてもいいのではないか』
と意見を述べたような者は(私のことですが、汗)大学では偏屈者とされる。
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/4783/trackback
さらにあの安倍さんの肝いりの教育再生会議では「人物評価」を「点数主義」に代えようとして、さらにその傾向に拍車をかけようとしている。
日本で独創的な研究が生まれないようにしている原因がここにある。しかも加えて、基礎研究にお金をかけるような姿勢は全くないどころか、どんどん減らしている、それで独創的な研究や技術開発が生まれるのは難しい。
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/3482/trackback
2つ目は:
「好奇心」がサイエンスには重要だということ。既に答えがあるような問題を、効率よく早く解答できる能力よりも、答えがあるかどうか判らない問題でも好奇心を持って挑戦して行くことの方が世界を切り開くチャンスがある。
どうせ膨大なデーターベースをもとに、「統計と確率」で解答するAIには人間は勝てない。それならばゼロから、イメージと好奇心だけで挑戦することこそ人間の可能性を生かせるというものだ。
日本社会もお祝いの言葉だけでなく、真鍋氏が語った言葉の背景をしっかり受け止める必要がある。
<6年目のメキシコシティーからの便り>
火曜の夜の『世界ふれあい街歩き』は2015年放送のメキシコシティー。
https://www.nhk.jp/p/sekaimachi/ts/NJVPP9ZYK6/episode/te/M913PX13MG/
この街は元々湖の上のに集落があり、これがスペイン占領後埋め立てられたとか。全然知らなかった。早速Google mapで調べてみる。ほぼ大陸の中央部の盆地に位置しているがとても昔湖があったようには思えないが、確かにWikiによれば、
『かつては市域のかなりをテスココ湖が占めていたが、17世紀以降に干拓が進められ、1900年にはテキスアク・トンネルによる排水路が建設されて湖は東部の一部に残るのみとなった』とか、驚きだ。
メキシコシティーには昔、ユカタン半島の旅の際、乗り継ぎで立ち寄っただけ、街のことは全然知らないままだが、だだっ広い平野部だったような微かな記憶がある。
最後にいつものように、コロナ下の便りが紹介される。
ギター職人のおじさんはコロナにかかったが無事回復したとか。10人の子供を育てた土産物の家のおばさん。コロナで観光客が途絶え、生活は苦しいが、成人になった子供達が今は外で働いて助けてくれるとか。
いつもながら本当に良い番組。
『自由の命運』13
それでは現在の共産中国について著者らはどのように考えているのか? これまで見てきた通り、著者は王朝時代の連続性、本質の不変を強調する。そしてあのアリババのマーさんも共産党員であることを指摘する。p365
そして近代化すれば、世界に組み込まれれば民主化するとの期待が幻想であると断定する。それは2500年も専制の経路を歩み続けた中国にとっては狭い回廊に方向転換することは絶望的だとも。p366
このことに関しては私自身最近そのように感じていることを告白しないといけない。この点については同意見だ。
そして、それにも関わらず、現代中国がそれなりの成功を収めている理由については「政府の要請に応じる形で他所で成し遂げられた技術の移転、模倣によってなされた」ものだとする。
創造性は大勢の人が実験し、独自の方法で思考を重ね、時にはルールを破り、失敗と成功を重ねて行けるかどうかにかかる」とする。p367
この「時にはルールを破り」という点が先の「非協調性」の話となんだか私の中では妙に共鳴する。
そしてこの7章の最後に『中国式の自由とは、自由がまったくないことなのだ』という言葉で括っている。p370
さて、この著者らの結論がどの程度正しいかまだ私自身は疑問を持つ。例え専制のリヴァイアサンの元でも人々は独自の戦略を持ち、創造性を生み出す知恵を持ちうるかもしれないと思うのだ。
特に中国のように大きな国では様々な《スキマ》が存在し、「上に政策されば下に方策あり」とするような生き方があるのかもしれない。さて、どうだろう?
以上で上巻は終わる。改めて4章に戻る。