『阿片戦争』(後)5 | Hiroshiのブログ

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<土曜日>
昼:
車検に出す。整備場は昔の職場の近く、近場でも構わないのだが長い事お世話になって整備記録もあるし、たまには福岡市を東から西に横断するのもいい。それにしても、現役時代、毎日片道1時間以上もかけて通勤していたとは信じられない。日常のことだと普通に感じてしまうのか? 合計2時間以上も毎日無駄に過ごしていた?!

整備場への途上、運転しながらラジオを聴く。最初面白い番組が全然ない。それで色々チャンネルを回していたら、ラジオ第二の『ラジオビジネス英語』が耳に入る。教育番組だが、それとは無関係に内容が面白かった。何故ならインタビュー番組だから。

その中でこのコロナが経済活動に及ぼした影響、とりわけ働き方に関する影響が語られていた。論者は「このパンデミックの影響は一過性のものではなく、強制させられたとはいえ1つの社会実験だということ。また、職場を共有しなくても仕事は出来るということを半ば証明した」という。確かにその通りだ。とりわけ欧米以上に職場の無言の強制圧力が強い日本ではそのインパクトは大きかったのではないだろうか? つい聞き入ってしまった。全て英語だが、それ程難しい英会話ではなかったので為になった。


夜:
自治会の総会。今回もコロナ対応で役員のみ。それでも新旧役員が揃うのでそれなりの人数、40人くらいとなった。十分に「密」。 新しい役員さんに公民館のクラウド予約の為のスマホ手続きをしてもらう。30代後半くらいの若い奥さんなのでスマホ操作は慣れているみたいだ。




『阿片戦争』を読もうと考えた理由が今の香港情勢。これを知ることなくしては難しいと感じたから。この本の付録に対談集があるが、その中で当時、早大の教授である稲畑耕一郎氏が以下のようなことを述べている。

『中国のことを知るには、昔の中国を知るよりは、まず近代なり現在のことを知る』 べき、だという。

完全に同意できる。確かに古代の中国に関する書籍は山のようにあるが、現在中国に直接つながる近代史の知識を得る機会が非常に少ない。またそれ故に、中国が考える<香港のあり方>についての理解が乏しい。中国通は多いが、それは精々、古代から中世まで、近代史についてもよく知っている人は少ないように感じる。

誤解なきように付け加えれば、これは理解することで同意することではない。



『阿片戦争』(後)5
ここで漢奸という言葉が出てくる。これまでもよく聞く言葉だったが、当時=清代はいまと少し意味が違うことに気がついた。つまりこれは文字どおり漢族が英軍と共に清朝=満州族に対して暴動を起こしている意味なのだ。それで念のためwikiで調べてみると果たしてこの言葉が出来たのは清代で漢奸=漢民族を指し、現在の意味とは異なることが分かった。

前回、乍浦(さほ)の英軍による占領でここから運河上に遡行するのかと思ったが、実は運河の水深は浅く、軍艦の遡行には無理ですぐ放棄して長江沿いに南京にむかうことになる。p463 その途中に次の激戦地、鎮江がある。

この鎮江は運河の要にあり、物流を止める効果があった。p480

さて物語は南京条約の締結の数週間後で終わるが、登場人物はその詳細を知らないまま(情報が伝達されるのに当時は時間がかかる)新疆に左遷された林則徐を囲む宴で終わる。p517 

宴を囲んだ林則徐を含む三人(2人は作者の創作)がその後、別々の道を歩むことになることを暗示している。章の題名も「訣別」。おそらく著者の中では、後に敵対することになることを含ませてのことのよう。

勿論、例えそうであるにせよ、三人は敵意どころかお互いに敬意を持つ。これも時代の流れがそうさせたと言わせたいのだろう。もう一人の著者の創作の登場人物は王挙志、江南の暗黒街を動かせ「山中の民」を結束できる人物として描かれている。p519 もしかするとこれは後の太平天国や義和団事件につながる人物を想定しているのかもしれない。どうだろう?

物語の終わりに170ページもの長い付録がある。その1つが『実録アヘン戦争』。小説が、史実に基づきつつも著者の創作であったのに対し、これらは実録。それを書いた理由も最後に書かれているが、大学の学生がこの小説で論文を書いて先生が困って文句?を言われたという。それが理由で『実録アヘン戦争』を書くことになったとか(笑)


それにしても長い物語、700ページほどの厚さをもつ分厚い本の上下巻二冊、原稿用紙3000枚の大作。p693 読み応えがある。勿論、読書の間じゅうGoogle mapは大活躍した。なおこの本は直木賞を受賞したらしい。