『阿片戦争』(前)2 | Hiroshiのブログ

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今後不定期投稿となります

<数値目標>
https://www.duolingo.com/learn
黒曜石リーグ +50XP,24080XP,十九分钟。

https://www.youtube.com/watch?v=RBvTiSELGqs&list=PLrWxcegPNiyj-M05glrorpUrXekNDKejm&index=6
HSK2~3 ~#6 背了四十一分钟单词。

https://www.youtube.com/watch?v=Sd-lWo_qE-I
看了二十分钟李频道。

https://www.youtube.com/watch?v=9tV62gfUtEQ
看四分钟李ちゃん频道。

https://www.youtube.com/watch?v=3ZT54M1OuV0
中国語の耳を作るリスニング・入門会話編。1h1min~end,听写五十六分钟

https://www.youtube.com/watch?v=jWzQdXZ2zeY&t=1s
听了十三分钟ゆうきの中国語。

https://www.youtube.com/watch?v=Qp5mFPN9VXU&t=28s
学了十六分钟汉语。

https://www.youtube.com/watch?v=HWkG9pkHpmc&list=RDCMUCqYlZBjsGZFX3Ia0IyaT0cQ&index=3
中国語基本会話フレーズ2000,#10+#3 作文二十二分钟。一共三个小时十一分钟。

运动;爬山散步 3.4km,5511步,7楼。




<最終講義>
研究室の後輩M君が定年を迎えるので最終講義をオンラインでやるとか。 最終講義となると学外からも普通人が集まるものだが流石にこの時期、人を集めるわけにはいかない。数年前には考えられなかったこと。それにしてもギリギリでやるのだね。私は結構早かったが。
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/5180/trackback

…彼の世代までは大抵どこかの教授になれたが、数年後からポストが削減され。未だに准教授や助教すらもいる。色々、挫折を重ねたとはいえ、どこかに拾ってもらえた世代としては幸運だったというほかない。




『阿片戦争』(前)2
林則徐が江蘇巡撫になった時の俸給
棒食(本棒)銀~200両
養廉(ようれん)銀1万2000両
公金 銀~60両
合計で銀1万2300両程度 p049

昔の中国の官僚が本給だけで生活できないことは有名で、これが腐敗や賄賂を引き起こしたとよく聞く。清潔な官僚でもそれゆえ、様々な給与以外の収入がある。「三年清知府、十万雪花銀」と言われるのもそれを示す。
http://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/3650/trackback

それが形式的には今でも続いていると聞く。最近は官僚の給与も上昇したとも聞くが、10年前(2011年時点)までは中国の官僚の年収は20万元を超えない。それはありえないことだが、これにはカラクリがある。

例えば上海の超有名大学の教授の給与も本給は少なく月額5000元以下だと聞いて驚いたことがある。ただし手当が5倍近くになる場合がある。特に医師の場合はそれが大きい。これは診療費の割合で決まる。数年前の話だが、教授、准教授等で割合も変わってくるとか。例えば教授本給は5,000元程度だが、ボーナスは給料の約5倍。治療費の17%がボーナスとなる。故に実際の収入は30万元以上の年収になる。現在ではさらに上昇しているはず。
http://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/4696/trackback
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/3994/trackback

科挙で落ちたが、それなりに有能な者は「幕友」になることもある。これが私設職員と言うもの。p051 有能でも落ちるのは「字が汚い」とか「詩を創作するのが下手」だということらしい。如何にも科挙的選別試験からくる原因。

清代の北京の街の南方は当初、漢族が住むので看板は字看板(招牌)。北方には満州族が住んだので漢語のわからない人のために絵看板(幌子)が多かったらしい。p068
https://www.tenri-u.ac.jp/topics/oyaken/q3tncs00000gd453-att/q3tncs00000gd4c8.pdf

マカオと香港の間にアヘン密売用の島があったらしい。p091 実際Google mapで調べてみると実に多くの小島がありどれがそれに相当するのかはわからないほど。当時のマカオは海外貿易が広州のみに制限されていたのでその意味では寂れていたが、外国人居住地が租借地としてあったので妻子の住む居住区としてあったよう(妻子は広州に住めない規則)。特に冬季は外国人は広州からでないといけなかったらしく(実際には緩い規制)その間はマカオ在住だったとか。広州~澳門間は陸路ではほぼ福岡~熊本の距離。海路でいけばかなり近い?