再度RT-PCR検査について & 『転ばぬ先の経済学』3 | Hiroshiのブログ

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今後不定期投稿となります

<再度RT-PCR検査について>
志村けんさん(70歳)が亡くなったらしい。
3月17日、発病。倦怠感で療養。
20日、発熱や呼吸困難で入院。
23日にRT-PCRで新型コロナウイルスの感染判明。
30日死亡、発病からほぼ2週間で亡くなる。

彼の番組はほとんど見た記憶がないが、同世代なので活躍は知っていた。もっと早く確定診断されればという思いがある、残念だ。高齢者は診断が遅れれば手遅れになりやすい。当初は「見殺した」と過激なことを述べたが、これは言い過ぎと反省している。
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/6114/trackback

確かに数日早く診断されたからといって結果がかわったかどうかは判らないだろうが、しかし早く診断されればアビガンなどの試験的投与ができたはず。重症化してからでは抗ウイルス剤は効きにくい。多臓器不全になってからウイルスを排除しても意味がないということだ。
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/6069/trackback

RT-PCR検査についてはいろいろ議論があることは知っている。しかし確定診断が遅れれば、適切な治療ができないのは当然のこと。下記URLはCOVID-19の検査数の国際比較データー。下の図の右上が100万人当たりの検査数と100万人当たりの陽性患者の相関図。日本はほぼ世界の平均的な範囲にある。ただし、うまく防疫が進んでいる台湾やロシアは上位にあることも指摘しておきたい。
https://ourworldindata.org/covid-testing
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/6111/trackback

 

公平に言えば、特別日本の検査指針が陽性患者数を意図的に低く押さえているとは言えないようだが、それでももう少し検査を増やしていいように思う。

因みに福岡での検査数は30日時点のデーター(~3/29)で合計955件(943名)。1日最大数は122件で非常に少ない。東京ですら1/31で212件が最高(210名)!
https://www.pref.fukuoka.lg.jp/contents/covid-19-portal.html#A1-3-1
https://stopcovid19.metro.tokyo.lg.jp

これは日本の検査指針がクラスター解析に重点を置いているからだろう。今のところ、この方針が正しいという意見も死亡者数からは説得力があるようにも思える。しかし一方で日本では毎年肺炎で10万人以上が亡くなる。特に冬場は多いので統計を取り始めてからのこの2ヶ月に数万人が肺炎で亡くなったはず。そのかなりの部分が検査されていない計算になるが、その死亡者の中にコロナ感染者、特に混合感染者がどれだけ含まれるかの数字は聞いたことがない。
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/6089/trackback



『転ばぬ先の経済学』3
効率化と安全性についてのある間違った選択の例を著者は挙げている。p250 これを読みながら直ちにそれが東海村で起こった被曝事故であることにすぐ気がついた。それは本来2.5キロのウラニウムを処理すべきところを効率化のために16キロに増やした結果の大事故だ。最後に著者はこれの話が作り話だと読者は思うかもしれないが、日本で起こった事故だと打ち明ける。
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/1210/trackback

また人は選択肢同士の価値が小さいほど、選択に時間をかけ、価値が大きいほど時間をかけない傾向があるともいう。その例に著者自身の前者の例を挙げる。つまりホンダアコードか、トヨタカムリを買うかの選択だったというのには笑った。p252 著者曰く、どちらにしても快適さ安全さ、コストは大して変わらないと。

一方で我々は沢山のオプションがあることも忘れていると。その例に自宅購入を挙げる。確かに多額の資金と30年のローンというのは悩むのに十分な選択肢だろう。しかし、著者はいう、ローンが払えなければ翌年、売り払っても精々、1万8千ドル程度の損失で済む。それほどの大問題ではないと! 1年住むか、30年住むかは後で考えればよいと。成る程ね!

「慣性の法則」この中でスペアタイヤの話が保険、あるいはリスク回避の例として挙げてある。著者は人家のないところで車がパンクした時のリスク回避として挙げているが、日本ではまず考えなくてよい話だ。事実前の車までスペアタイヤを常に揃えていたが、いまは最初から無しにした。

最初に車を運転したのがカルフォルニアで温泉巡りの趣味があったので人家のない荒野を何時間も走った経験があるのでスペアタイヤは必須だった。その後帰国後もその習慣がありスペアタイヤのみならずラジエター用の水なども常に装備していたがある時、いずれも全く日本では不要であることに気がついた。だいたい車検制度のある日本では車が路上で故障するということがない。万一あってもJAFが簡単に呼べるし、パンクならば近くのガソリンスタンドまでゆっくり走ってもよい。それでスペアタイヤはもう用意しなくなった。この例も人が如何に慣性に支配されるかの例。

こうした事例を紹介する時、著者はよく身近な例を挙げる。例えばSFからサクラメントまでどのルートを選ぶかという具合だ。スタンフォードやサンタクララ大学で教えた著者ならではの話だが、こうした例を挙げるのもきっと学生にはうけただろう。卑近な例から普遍的な話に持って行くのは教育の1つの技術だからだ。私も各単元でそうした例をいつも用意していた。
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