『転ばぬ先の経済学』2 | Hiroshiのブログ

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今後不定期投稿となります

<コロナ蔓延の週末>
この週末は外出しないつもりだったが、ちょっと買い物に。普段と変わらない人出。これは田舎だからだろう、天神などの福岡の繁華街では人出が減ったというニュースも流れている。福岡も陽性者が立ち上がり始めている。間違いなく、感染経路を追えない不特定多数の感染者増加の予兆。検査数と陽性者数が相関していないことから判断できる。

 

一方、中国では未だ制約はあるものの、一時期の緊張感とは打って変わって「開放感」が感じられる。宴会や外出での話題が主。ま、それはそうだろう。いつまでも緊張していては神経が持たない。但しこのウイルス、集団免疫がつくまでは今度も中国で感染再燃の可能性はある。

 

外出後は、自宅の庭で読書。それなりに面白い本なのだが、文献学の限界も感じた。著者の井波氏はこの分野の権威だが、自然科学畑の者からすれば、そんなに簡単に『間違いない』とか『明らかだ』など、よく平気で云えるものだと呆れる。この世界も <何とでも言える世界> だと感じた。いずれ紹介予定。

 



コロナウイルスに関する非常に判りやすいビデオ。お薦めです! (日本語訳あり)
https://ourworldindata.org/kurzgesagt-coronavirus-video



『転ばぬ先の経済学』2
選択を決める場合;
(1)「好き、嫌い」をまず考える。次は、
(2)「経済学」だという。p104 さらに、
(3)「機会コスト」を考える。つまり他の有望な機会を追及しなかったことの損失を計算に入れる。さらに、
(4)「サンクコストを入れない」つまり既に払ったコストは目をつぶる。p105
こうしたリストは何時も用意していた方がいい。

(5)「効率的」に考える。この実例として著者は、私有地を通って自宅までの道を補修に必要な分担金を決まる場合(アメリカでは公道まで出るのに距離が何マイルもあるというのが凄い!)様々な条件を検討すると時間が無駄になるので一律が良いと著者は言う。p134  

あるいはSFのゴールデンゲイトブリッジの通行料を例に挙げる。ここでは北に行く場合(=SFから出る)は無料、南に行く場合(=SFに入る)場合は50セントとする。p148  これは私がPalo altoにいた80年代からそうだった。
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著者はこの本の中で頻繁に製薬会社での例を挙げる。これは著者の1人のフーパーがかつてメルクのマーケットアナリスト、コンサルタントとして働いていた経験があるからだろう。例を読みながら「へ~こんな背景があったのか」と興味深く読めた(笑)

平均値の回帰のところで成る程と思ったことに、飛行教官の話はある。それはある練習生が特別上手に離着陸できた場合、褒めると次回は下手になるというので私は褒めないと言ったこと。p183 

しかし、考えてみれば <平均よりも特別上手に離陸できたら、次回は平均か、あるいは逆に下手に離陸する可能性が高い> というのは当然。つまり、平均値に回帰するということだ。だから「褒めない」という選択肢は論理的に間違っている。

ニカラグアの「搾取工場」の話が出てくる。p226 これと全く同様の話が中国の『貧困絶望工場』でも語られていた。これを以前取り上げ、「日経BPらしい題名」だと酷評したことがある。 なぜなら共にこれらの工場で働く人々は<稼ぐ>ために、あるいは家を建てるためや子供を学校に上げるため<希望>を持って田舎から出てきた人たちだからだ。
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何かを決断する時は多くの選択肢リストから選ばないといけないというのは納得できる。p235 しかししばしば我々は二者選択をすることが多い。先日買い物袋の有料化で当初これまで無料だったプラスチック袋の代わりに新たに専用のプラスチックの袋を買おうとした私の場合がまさにそれに相当する。手段(=無料のプラスチック袋の有効利用法)が目的化(ゴミ袋用のプラスチック袋を入手する)した好例。
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