<施設閉鎖>
明日月曜からジムも図書館も。これだけの状況を引き起こした政府の自粛要請だが、先月の半ばまで危機意識もなく、よくノホホンとしていたものだ。
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『国際交易の古代列島』4
最後が承和の遣唐使でこれに円仁が乗る。この遣唐使は新羅系のネットワークに依存したことを様々な事例を示す。例えば円仁は国司から先の登州赤山法華院を創建した張宝高(张宝高)への書状を託されていた。p159
このネットワークは朝鮮半島南西部、山東半島、揚州を囲む範囲で当初おこなわれた。p157 通路としては揚州―楚州―赤山―清海鎮―太宰府 p159
しかし承和以後は唐朝の衰退を理由に遣唐使は廃止されたが、交易は求められていたので、その代わりに新羅系のネットワークによる民間の商船が代理した。p163 やがて新羅政権の不安定化とそれに伴う張宝高の暗殺でこのネットワークが機能不全になるとこの代わりを江南の唐商人が担ったらしい。p171 これには北方の政情不安からの人口移動などもあり江南の経済成長も背景にあったらしい。p173 そして10世紀の動乱期には江南の杭州を首都とした呉越国が支えたらしい。p179
<データーベースとして>
倭国時代は「から」は加羅、すなわち韓を指し「加羅(韓)もの」だったが、遣唐使時代になるとこれは「唐」に転化し9世紀になると完全に中国を指すようになる。p135
AD862、インフルエンザが流行するが、この時怨霊とし三国間交易から莫大な利益を得たが、その後謀反の罪で流罪とされ、さらに後に冤罪とされた宮田麻呂が祀られたとか。p151 この時代にも疫病は社会を震撼させたということ。