蛇の道は蛇 & 『太宰府を探るサイエンス』 | Hiroshiのブログ

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今後不定期投稿となります

<数値目標>
https://www.youtube.com/watch?v=-6dvSNw93Xs&list=PLrWxcegPNiyj-M05glrorpUrXekNDKejm&index=11
HSK4,#10~11 背一个小时二分钟单词。

https://www.youtube.com/watch?v=qKha81-hSIk
https://www.youtube.com/watch?v=m9dLFndf0oc
https://www.youtube.com/watch?v=f0wrixn7anE
看二十三分钟李姉妹频道。

https://www.duolingo.com/learn
サファイヤリーグ335XP,一个小时一分钟。

https://www.youtube.com/watch?v=MOucv9_OaDI&list=PLoWkSnQu8dvFgVtV-AtBM3YRzbUVGljTc&index=36
ブレチャイな! 31~36. 学习三十九分钟文法。 

https://www.youtube.com/watch?v=yvF3SyAtpzE
カエル、0~8.09min, 做三十五分钟作文。

https://www.youtube.com/watch?v=Cr1Bj_YmkEA
kazu频道,看了三十二分钟#83频道。 一共四个小时十二分钟。

没有运动。



<蛇の道は蛇>
今回のゴーン氏を巡る事件が「司法取引」という話しも知らないわけではない。しかし内情を知らない者としては陰謀説には近寄らないようにしている。陰謀説は何とでも言える世界。
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ただ結果として言えることは。逃亡請負人にツテをたどれる人間は限られる。曰く、

  『蛇の道は蛇』

The wolf knows what the ill beast thinks.

それだけをもっても判断できる。



『太宰府を探るサイエンス』
九州歴史資料館、平成29年初版。
まだ九州歴史資料館にいったことがない。ぜひ近いうちに訪問してみたいものだ。

木簡の材質を調べるのは顕微鏡観察によるらしい。確かにプレパラートの写真を観るとかなり木質の構造が違うので区別可能なのだろう。1976年に九大農学部に委託された検査で木材の判別がされたというが、方法が記載されていないらしい。p6 

これは解せない。普通科学的検査ならば当然、方法が記載されてしかるべきで手抜きではないか? このようなことがこの業界の評判を落とす!それがわからないのか? 同様な論文の不備は別の考古学の論文でも見られた。ここらが日本語で書かれた論文が世界水準ではないと感じる点。世界のピア・レヴューを受ければ論文にはならない!(断言)
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いずれにせよ太宰府出土の木簡については古代から中世にかけては樹種による優先的な使用は見られず。14世紀以降に針葉樹が主流となり、近世になると広葉樹だとか。p25 この理由について何も語られていないが、興味あるところ。また太宰府出土の木簡と平城京出土の太宰府関連の木簡では違いがあるらしい。p34 後者では主に広葉樹だとか。これについて太宰府出土でも時代によって違いがあるのだからその辺についてもきちんと書いてもらいたかった。

また下駄についても同様な解析例を紹介している。それによれば下駄の形態で変化が認められるとか。つまり1木で造られる構造が単純な連歯下駄は広葉樹がやや優勢。歯が換えられる差歯下駄では針葉樹が優勢らしい。p35 特に著者は理由を述べていないが、これはもしかすると前者は消耗が早いので広葉樹で十分だが、後者は歯をかえれば長期使えるので構造が密で丈夫な針葉樹が好まれたのかも? これは何となく納得できる。

ここで面白いことが書かれていた。木簡の字を識別する良い方法が、偶然見つかった経過で。木簡の保存のため、アクリル樹脂を塗布する時、字が明瞭に見える瞬間があるらしい。ただし乾くと見えなくなるので今では赤外線ビデオに記録して判別に使っているらしい。この瞬間は肉眼でも可能だとか。p30

それと、8~9世紀の鉛製の買地券の解析で面白いことが書かれていた。それはこの当時、道教の影響をうけた埋葬習慣が伺える資料がでたとか。p19 これは別の本の中にも書かれていたが、当時仏教と道教は一緒に日本にもたらされたが、やがて道教は日本では廃れる。これについては『八幡神と神仏習合』に詳しく書かれていた。
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