<数値目標>
https://www.youtube.com/watch?v=gKUoka-HWPA&list=PLrWxcegPNiyj-M05glrorpUrXekNDKejm&index=13
HKS4 #13。背二十分钟单词。
<お見舞い>
今日は午後から最近入院された先生のお見舞いで勉強は午前中の短時間のみ。知り合いと打ち合わせ病院に行く。仕事一筋の人だったので現役引退されて僅か1年だが、急に老けこまれた感じがした。
<中曽根氏死去>
考え方は色々違うところはあったが、学ぶべきところのある人と高く評価していた人。 巨星落つ、黙祷。
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/1626/trackback
<政治資金監査ミス>
エクセルが入った書式を入れればミスする可能性がありえないケース、今や常識のレベルの事務システムだと思うが? 事例として以下のものが指摘されているが、殆どは書式で解決できる。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191129/k10012195271000.html
事例;
1)「小計」や「合計」の金額が合わない >エクセルのSUMで解決
2)収支報告書と領収書の金額不整合 >コピーで解決
3)支出の重複計上 >時系列 or 「通し番号」の入力項目導入で解決可能
4)監査報告ミス(公共事業受け入れ法人からの寄付など) >これこそ監査人の仕事
原因とされたもの;
事務処理の多さ=年間4000枚 > たったそれだけ? 多いとは言えない!
根本的解決法;
国会議員の政治資金サイトを国が作ったらどうだろう? 今や科研費などの会計処理でも使われているHP、コピーするだけ。
尤も電子マネーにすれば一気にかつ瞬時に解決するのだけれどもね! ついでに全て国民に公開したら?
先日から紹介している『WTF経済』をここで一時中断して、その間頭がパンパンになった時に気分転換で読んだ本を2冊ほど先に紹介したい。余り紹介が遅くなると事柄が前後することになるので。今日は『現代中国入門』を紹介したい。
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『現代中国入門』
光田剛編、ちくま新書1258、2017年初版。
序章中で、あれほど広く多様な大陸中国で広大な領域を支配する王朝が成立しえたのかについて、著者は「10世紀以降、科挙により漢字で書かれた文書を共有することで、多様な言語を話していてもエリート内部の共通文化が形成された」ことが大きいと指摘する。p017 そしてその教養が日本に伝わる時にはその漢字文化がもたらされた。逆に言えば庶民の文化は抜け落ちていた。それが近代になり庶民の文化にも晒された時、日本人の中国に対する「尊敬」と「蔑視」というアンビバレントな性格を持つものとなる。p023 ところで第1章の参考文献として井上純一氏が紹介されていたが、意外なことに笑ってしまう。案外日中の文化交流に井上氏の漫画は役に立っているのかもしれない。p028
http://blog.livedoor.jp/keumaya-china/
第1章では中国現代中国の成り立ちが概説的に述べられている。元王朝が残したものとして、「省」という地方制度、貨幣経済と共に、中華帝国の範囲の拡大だという、特にモンゴル、マンチュリア、新疆、チベットが加わったという。そして今の中国はこの「遺産に囚われている」とも。p034 これはよく分かる。負の遺産と考えている。
また著者は現代中国がマルクス主義と伝統中国の理想がない交ぜになってできたものだろうとポロッと述べているが、p057 これは何となく同意できる。少なくとも皇帝に象徴される中央集権的国家(これを社会主義中国は否定しつつも)と、家族制度(外婚制共同体)に象徴される財産等分割制度は、国家主席(今では絶大な権力を持つ書記長)と社会主義的理想の矛盾した中国社会を感じさせるからだ。
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https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/3477/trackback
現在の研究では下放は1)文革を終わらせるためと、2)農村が大躍進等で相当に疲弊して労働者を増員する必要から毛沢東が行ったとの見方が主流だとか。p127
<データーベース>
魯迅は中国における版画運動の創始者にして指導者。p117
科挙は明代からは四書(大学、論語、孟子、中庸)を出題範囲に決めて、それまでの五経(易、書、詩、礼記、春秋)を省いたことで格段に試験が楽になったとか。つまり儒教の大衆化と科挙の平易化が併行して進んだとか。知らなかった。因みに大学と中庸は礼記の一篇。p133 さらに1905年に科挙の廃止により大量の留学生が主に日本に流れたとか。1905~07年にかけて1万5,000人が日本にやってきたとか。p135