トルコ言語改革の功罪 & 『イスラーム 書物の歴史』3 | Hiroshiのブログ

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今後不定期投稿となります

<数値目標>
https://www.youtube.com/watch?v=-6dvSNw93Xs&list=PLrWxcegPNiyj-M05glrorpUrXekNDKejm&index=11
HKS4 #10~11。背了四十七分钟单词。

https://www.youtube.com/watch?v=h1gDEzBMCS4&list=PLoWkSnQu8dvFgVtV-AtBM3YRzbUVGljTc&index=85
#79~85 ブレチャイな,学了五十四分钟语法。

http://fchi.web.fc2.com/syotyuukyuu1.html
【初中級】P30-34-1/8~8/8 学习一个小时十四分钟分钟。

https://www.youtube.com/watch?v=FJ1h9_bB7TM&list=PLLpXNwtj_vHSATJcTYZQKZmFrqlkrBdg2&index=9
びびさんのポスト中級channel from China 7~9, 看二十五分钟ch。

https://www.youtube.com/watch?v=rqCA-PAqcdE&list=PLrWxcegPNiyj-M05glrorpUrXekNDKejm&index=12
HKS4 #11~12。背了四十七分钟单词。一共四个小时七分钟。

运动;爬上散步 350kcal



ついにWeChatPayもAlipayも使えるようになったみたいだ。急ぐことはないが。

 




『イスラーム 書物の歴史』3
最初の統一されたクルアーンとされるウスマーン本はイスタンブールとタシュケントに現存するらしい。p79 いずれもアラビア語圏でないのが面白い。

アッバース朝のバグダットのイスラーム世界では様々な非アラブの学問、伝統に対して、外(非アラブ)と内という区別より「新」と「古」という時間軸の区別を主にしたらしい。其れ故、ギリシャ、ペルシャ、インドは「外」ではなく「古」。この意識の違いは日本が明治期に欧米から輸入した時の感覚と本質的に違うとか。p92 ただ具体的に其れがどのような影響を及ぼしたのかは今ひとつ判らなかった。

アラビア文字の広がりという点で中国語が一部の地域でアラビア語で記載されるところがあるらしく、これを「小児錦」と呼ばれるらしいが、もちろん其れ以外にも使われているところが中央アジアを含め非常に広い範囲に及ぶ。p101 中国内陸部の一部(甘肅・青海両省の東郷族など)とマレー半島にも存在する。
http://www.aa.tufs.ac.jp/~kmach/xiaoerjin/repFY01/index.htm

 

 

調べてみると、ジャフリーアのことか? 
https://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/3721/trackback

<データーベースとして>
アラビア語には母音がア、イ、ウの3つしかない。しかも読む側が補って読まないといけない。p104 それで、ケの時はキ。コの時はクで表記するらしい。例えば「結構困ります」は「キっクうクまります」と表記するらしい#。あるいは、母音記号が付けられる前の古いアラビア語表記は、例えば以下のようなもの。クイズ形式で著者は示す。p104

w-k-r-m-s-n 

これを「わかりません」あるいは「わかりますね」と解読!せねばならない。超難解だ!! p108

つまり、予め単語の読み方や使い方がわかっていないと正確には発音できないどころか意味すらもメチャクチャになる。母音が5つの日本語でもこのように大変だが、母音が8つもあるトルコ語では根本的に無理#。p106 従って後で問題になるようにクルアーンは朗読の達人が常に本と共に同行していなければならなかったのだが…  これが後で問題となる。


#ムスタファ・ケマル・アタテュルクによって開始されたトルコ語の固有語復活と、アラビア語、ペルシア語からの借用語の除去。所謂トルコ語の純化をおこなおうとする言語改革運動は強引のようにも思えるが上の事実を考えれば合理的な判断だと言える。歴史では習ったが、こうした背景は全然知らなかった! なお文字としてはこの改革に伴いアラビア文字の禁止されラテン文字が採用される。

このことに関して、実に興味深い逸話が今読んでいる本の中に紹介されていた。それは、ある日本人研究者がトルコの名家に招待され所有地の中にアラビア語で書かれた(と思われていた)石碑があるので解読を頼まれたとか。そうするとなんとその石碑はアラビア文字で書かれたトルコ語で、その意味するところは、その石碑がご主人のお爺さんの墓標だったとか。

急激な文字革命はトルコ語にとっては合理的な解決策だったかもしれないが、その分失われたものもあるということだろう。