日本人が、ノーベル賞を獲得しました!


鈴木章・北海道大名誉教授・根岸英一・米パデユー大特別教授


おめでとうございます。


僕は研究職ではないから、ノーベル賞が実際どのくらい難しいかはわかりませんが、


日本人が表彰されるのはとてもうれしいことです。


二人の受賞コメントを聞いていて心に響いたのは、


『日本は資源がない、だから、人が大切、知識をつけていかないといけない』


『もっと若者が、海外に行くべきだ、決して旅行ではなくて。そして、海外から日本を見るべきだ』


という言葉だった。




どうも最近、隣の国との問題で、資源の問題が表面化している。精密機器に使われるレアアースの輸出制限や、石油問題。


輸出に頼っている日本は、輸出制限という形での経済政策ををされたときに、どうしたらいいのか僕にはわからない。


そして、制限をされたときにとても不安になるのは僕だけでしょうか。


国によって得意不得意がある。


日本の得意は、科学と文化ではないか。


それをどう輸出するのか、それを考えないといけない。


そういった意味では最近のカルフォルニアへの新幹線のセールスはとても若者にとっていい刺激ではないか。


日本に技術を、あまたの国と競いながら、世界に発信する。そして多くの人に幸せになってもらう。


とてもやりがいのあることだと、感じる。


海外に行かなくても、日本でも経験できる。お金がかかるし、不安も多い。


といって留学に行かない人が増えている。


日本に居てもやりたいことができないから、といって活躍の場を海外に移す人がいる。


世界とつながること、生のコミュニケーションから考える、世界の中での日本ができること。


私は、世界でもっとも早く高齢化を迎える国の看護師として、この国がどのように高齢化を乗り切り、成功したのか。


それを社会保障という分野で示せるように、頑張っていきたい。


看護師は、日本では制度に縛られ、医師との環境に悩まされ、海外に活動の場を求める人が多い。


それは、日本の環境がいまいちだから、海外に才能が流出している。


それはとても悲しい問題である。多くの人が、日本で活躍できればしたという。


しかし環境がないと。


海外はとても魅力的であるが、私たち臨床家は、日本にいて、そういった人が帰ってこれるような環境をつくらないといけないのではないか。風土文化は、私たちが作っているのだから。


日本を離れてはいけない、日本のために、海外へいく!

大きな問題に直面している日本だからこそ、そういった気概が今必要なのではないかと思う。





ちなみに。

皆さんご存じのアルフレッド・ベルンハルド・ノーベルAlfred Bernhard Nobel)もスウェーデン出身

どうも最近個人的な話題はスウェーデン絡みが多いような。



人間は生まれる前から触れられることで安心をしている。


人間は、胎児のとき、常にへその緒でむすばれ、子宮に触れ、成長してくる。


そして、生まれてきて、不安に駆られた彼らはなくことで、意思を表し、抱いてもらうことで、安心を得る。


ただ触れるだけ。


マッサージやつぼ押しとは全く違うものである。


施術者に力はほとんどいれない。


ただ、ぴたっと触れる、そして撫でるだけである。


それにより、人は安心をする。


特に以下のような効果があるといわれている。


― 穏やかさと安心感
― より良い睡眠
― 痛みを和らげる
― 自尊心の向上

体験してみて、感じたのは、やさしく触れられることにより、安心し、私を大切にされている気がします。


そして、それにより、幼い頃に母に抱かれたような、安心感がうまれ、穏やかな気持ちになりました。


またそういった気持ちが、痛み感覚が伝わるのを、鈍感にさせ、疼痛緩和にも効果があるということだそうです。


実際、スウェーデンでは、幼稚園児同士が、お互いに背中のマッサージをすることで、昼寝もスムーズ

になり、児同士の関係もよくなったそうです。


また、学校教育の中でも、生徒同士の関係改善や集中力の向上という意味で取り上げられてい

ます。


今、登校拒否児、保健室登校をしている子どもに対して、養護教諭の働きも始まっているそうです。


そもそも、タクティールケアは、スウェーデンのシーヴ・アーデビーが、未熟児のケアをしている中で、手


で触れることによる発育が顕著であったことに着目したことから出発したそうです。


日本では認知症ケアとして注目されていますが、そもそもそんな縛りはなく、誰にでもできるものです。


そして、それは、医療スタッフ等ストレスの多い職種でも、スタッフ間で効果が認められています。


側に寄り添い、耳を傾け、傾聴することが、看護の仕事の一つとして昔から大切にされてきまし


た。そして、看護の心として大切にもされてきました。


スウェーデンでは、ある意味で、国民が看護の心を持ち、思いやりをもって、触れる。


といったことができているのはとても素晴らしいことだと思うと同時に、日本でももっと広まればな


と思いました。


私も、本日ケアコースを受講したので、技を磨き、広めていきたいと思います!






タクティールケアの教育や講座については、日本スウェーデン福祉研究所のHPをご覧ください。
www.jsci.jp

今日は神奈川でボランティアをしてきました。


みなさんQOLというの言葉をご存じですか、

Quality of Lifeの,略語で、

一般に人や社会の生活の質、つまりある人がどれだけ人間らしい生活を送り、「幸福」を見出しているかを尺度としてとらえる概念、であり。


病院での看護の世界では、基本的に、どう疼痛を減らし、その人らしい暮らしができるのか、また病気とどう付き合うのか。治療の段階でも、尊厳をもち接するのか、といったことにもとらえられる。

言葉を換えれば病気とどう付き合うのか、そういった意味合いがぬぐいきれない。


今回在宅のボランティアで二人の高齢者の男性と出会った。


一人は脳梗塞で、エレベーターのない団地の上の方で、独居している人、

訪問すると、利用者さんは開始時間を間違えていて、私たちが遅れたと思って怒っていた。

しかし、話をしながら、謝罪し、お互いが怒らず、なだめていく。

そして、どんどん笑顔になっていく利用者さん。さすがの話術である。

僕に対しても、あまり男性が来ないせいか、とても笑顔いっぱいになり、一緒にイチローの話をしてくれた。

彼はとてもいい表情であった。
また来てくれよと、最後は笑顔で見送ってくれた。


帰りに訪問看護師さんはいった、この人にとって、私たちが行くことが、身体的、病気な側面を異常がないか観察するだけではなく、くることで、楽しい、笑顔になるということが大切という。

確かに、知らない人が、家に来て、1時間も処置をする。むすっとしていたら、たまったものではない。


この方にとって、黙々と素晴らしいスキルで、ケアをしたとして、あの笑顔はでてきたのだろうか。



もう一人は、元サラリーマンの男性、訪問すると、私の第一印象がよかったらしく、とても笑顔で接してくれた。

いろいろ話をしてくださった。妻の訪問がメインであるため、看護師さんは妻の入浴介助をしていた。


そして、4人でキッチンで談話している時に、夫が


『コーヒー飲むか』


『このまんじゅう持って帰れ』

と進めてくださった。


医療者は基本的に、物をもらってはいけない。

僕もそう教わってきた。

だから私はとても戸惑った。

そんな僕に、助けの船が、コーヒーだけ皆さんで飲んで帰りますと。

それでもとても満足されたので、男性は、そうかそうか。と嬉しそうに、もてなしをしてくださった。


後から、振り返って話をしていると、この方はもともと、人をもてなすことがとても好きで、

それで、とても笑顔になれる性格だそうだ。

逆にあそこで,無碍に断って、いたら、どんどん機嫌を損なって話もしにくくなるという。


僕が、彼の性格を知らずに断っていたら、あそこであの笑顔が見れたのか、また、健康指導ができたのか。



これらは、ただの、信頼関係を作る方法でしかないかもしれない。

ただ、病気や老いと付き合って、QOLを高めながら生活をしていくためには、

本人の協力を得ないと始まらない、

病院にいるのは、人生の中でほんの一瞬でしかない。

ほとんどの人が訪問看護、介護も毎日いけるわけではない。

病気とどう付き合うのか、それはその人次第かもしれない。

それをモチベーション高く、楽しみをもって、生活するには、

病気と老いを、闘病を、その人ももともとの生活にアレンジして、


ここまでしてほしいけど、


この人はどこまでできる。


それを、看護師が生活を支えるということで向き合っていかなければいけない。


病気は、すべては治らない。


病気になったら、今までの価値観はすべて変えなくてはいけないのか。


もちろん変えなくてはいけないところもある。


しかし、それを残していくことが、その人の人生の価値を高めるのではないであろうか。


病気を考えると、ここまではやるとまずい、それを可能な限り、本人がしたいことを考えて、しっかり線引きしてあげる。


看護師はそういった仕事ができるんだなと改めて考えさせられた一日でした。


医者にはできない、生活を支える看護師の仕事は病院にいたらわからないくらい深い。


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