今日は子供の日。
最近大きな鯉のぼりを見なりましたね。
小さい頃に、家にあった当時大きく見えた、鯉のぼりの口に入って遊んだことを思い出します。
当時の世界観は、学校と家族がすべてだったように思います。
インターネットも発達していなかったので、学校に似たような人が集まって、いいなと思うことも、幸せという物語
も似ていたように感じます。
最近見た『ALWAYS 三丁目の夕日』という邦画も、昭和33年(1958年 )の東京 の下町 を舞台としている。
このころの日本は、戦後の欧米文化へのあこがれがあり、テレビ、冷蔵庫、洗濯機が幸せの象徴であった。
テレビがきたら、地域の人がみんな集まって、笑顔でテレビをみて、幸せを共有している。
テレビから出てくる力道山が幸せを約束してもらえるもので、その以外言葉はいらなかった。
それは、幸せという物語が共有されているからだと思う。
これも、僕が小さかった時と同じだと思う。
そして今はどうか。
幸せを約束してくれるという、ブランド品を買い、個人の幸せの追求の時代があり、
不況を経て、ブランドが買い続けられないとなった時に、不幸ではないことが幸せの形になってきた歴史がある。
今はどうなのか。
牛丼チェーン店で、携帯電話でインターネットを楽しんでいる小学生か中学生くらいの子を見た。
インターネットをしている子供も多い。
そういった中で、同じ学校でも、幸せの形は違うのではないだろうか。
もっと言えば家族でも違うのだと思う。
そういったなかで、どう幸せを共有して、連帯感を持っていくのか。
それは、家族の結束力、地域の結束力を考える上で、とても大切なことである。
話は変わるが、2005年愛地球博のテーマは、自然の叡智だった。
跡地にいって、映像の記録を見て思ったのは、愛知に多文化が入り乱れる場所があり、
そこには、自然と共存しよう、平和な世界を作ろうという、共通の幸せを追っている人達が、連帯感をもって、
楽しそうにしているところだった。
いろんな価値観があるなか、どう幸せのストーリーを共有のものとさせ、推進力を持たせるのか。
私は、地域医療を考える中で、どういったストーリーであれば、高齢者が幸せを感じ、そこに投資をしてくれるのか。
今、特養という老人ホーム待ちの高齢者が42万人いる。
しかし、私たちは30代40代で、歳をとったら老人ホームに入りたいと思っているだろうか。
そんなことはないと思う。
選択できなくてそこにはいるのではないだろうか。
もしくは、当事者ニーズではなく、家族ニーズで入っていることはないだろうか。
僕だったら、元気な時のイメージはあるが、寝たきりになってしまったときでも、
おいしい食事を口から食べ、いい香りのアロマに囲まれて、毎日家族にあう。
そして、文化に触れ、美術館の博物館のデリバリーがあり、音楽も楽しむ。
時折3D映像の通信で旧友と夢を語る。
もちろん、看護師としてのスキルを社会に発信もする。
寝たきりでも旅行もしたいものだ。
そういったストーリーであれば幸せだな~と僕は思える。
皆さんはどうですか?
高齢者の幸せのストーリーが明らかになれば、幸せな人が増え、経済も廻り、日本にとってプラスになるのではないか。
いろんな人にあって、形を考えていきたい。
最後に、今日近所の公園で、ハトと戦う、小さなヒーローに出会った。
母の友達が、鳥嫌いだったかららしい。
声を上げ、走り回り、こけても立ち上がり、また鳥を威嚇していた。
誰かのために頑張れる、そしてほめられて喜び、行動が強化させれいる。
子供はやっぱりいいも悪いも反応が早いですね。
子供の日に、こういった子供が素敵な成長をしていくことを心から願う。
この子たちに、僕たち大人ができることは決して少なくない。