人間の行動は全て自分の幸せに向かう事が目的となっている。
これは抗えない本能であり、
例え不幸になるのが望みであっても、それが望みである以上、その不幸さえも自身の幸福となる。
ゆえに、いかに人の為にやっていると言ってもそれは人の為ではなく自分の為になる為、人の為と書いて「偽」となる。
ここまでは誰もが知っている話だ。
ならばここからの話はそう難しくはない。
「善」という言葉がある。
人にとってのいい事を「善」という。
一日一善は、
一日に一回人に良い事をしようという事だ。
ところが、いかに人に対していい事をしても、
それは自分の為になっているので、
それは本質的には「善」にはならない。
じゃあ、いかに「善」を成し得るか?
もう少し緩く言うと、いかに「善の純度」を上げるか?
その鍵は「無我」であり「無意識」だ。
人の行動が自身の幸福を目的とするのは、
あくまで「意識的な行動した時」だけだ。
無意識にやっている事に目的はなく、
無目的ゆえに誰の為でもない。
そこに自我(エゴ)は存在しない。
故に無我の境地である。
何も瞑想をして無になる事だけが無我ではない。
そこを知れば、あとは簡単だ。
一日一善、これには先がある。
毎日やっていればそれは習慣となる。
習慣とはプログラム済みの行動だ。
プログラム済みの行動は意識をしなくても勝手にやるようになる。
自分でも知らぬうちに「善」を行うようになると、
そこに自我(エゴ)はなく、偽善ではなくなる。
一日一善とは、善を習慣化し、
無意識にまでその行動を刷り込み、
善の純度を上げ、善を本物にするところまでがワンセットということだ。
そして、無意識だからこそ、
人に感謝されて初めて自分が善を行った事を自覚する。
善が最高純度に達した時、
感謝されても尚「自分がいつそんなこと(善)をしたのか?」を自覚できずにいるようになる。
人を愛する事も同じことだ。
言葉にした時点で意識出来ている事になり、
愛の純度が下がる。
自身すら意識せずに行動に移しているからこそ
その善意や愛は「本物」の領域へと達するのだ。
やっかいなのは、そこまでのレベルにまで自身を昇華した時、
もうそれは当の本人からすると当たり前のことだから、
どうやってそこまで辿り着いたのか?については、
その時には言語化ができなくなっている点だ。
これが言語化できない故に、
本物の善や愛が広まらない。
故に人類のレベルが上がって行かない。
これが全人類史を通して最上級の教育が行き届かない最大の理由の一つと言えるだろう。
━━━━━━━━━━━━━━
『ツインレイの真実』
~知られざる起源と今の形に至るまでの経緯~
日程:2026年8月31日
時間:13:00~16:00
開催:オンライン(Zoom)
参加費:3,000円
お申込み・お問い合わせ
yasukunitw03@gmail.com
━━━━━━━━━━━━━━
website : https://www.real-spiritual.com/