チャクラの起源から七つの色になるまで | 【神の叡智】ロゴス ブログ ~ Logos blog ~

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こんにちわ、フィリップです。

さて、チャクラはいつから7色となったのか?

 

そもそもチャクラとはなんなのか?

いつからチャクラの概念が生まれたのか?

 

ちなみに神智学ではチャクラは

エーテル界の第二亜層に属するエネルギーだが、

 

果たしてその起源とは一般的にどのような歴史があったのか、

それを調べていきたいと思います。

皆さんもぜひ一緒に私と旅をしていきましょう!
(海外のドキュメンタリーのホスト風)

 

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まず、チャクラを七色に初めて分けた人物は
近代神智学のチャールズ・ウェブスター・レッドビーター(1854年 - 1934年)という人物です。

 

ヨーガの修行でチャクラが覚醒したのち、

1927年に『THE CHAKRAS』を書き、
これがチャクラと虹色の結びつきの始まりとなりました。

 

太陽のスペクトルの7色と各チャクラのプラーナの色を関連付け、
オーラを体系化した本『THE CHAKRAS』では、

近代神智学の創始者ヘレナ・P・ブラヴァツキーの

『シークレット・ドクトリン』3巻452ページを参照せよとありますが、
そこにチャクラと色に関する記述は見られなかったそうです。

 

(じゃあ、何が書かれてあったのかが、めっちゃ気になる)

 

そして、この本がニューエイジやオーラソーマなどの

カラーセラピーの原点ともなっていきます。

 

ここにも神智学が絡んでいたのですね。

ちなみにこのレッドビーター氏、二代目神智学会長さんの右腕であり、

旦那さんです。(ドーン)

 

さて、チャクラは国や場所によって

7つではなく、その数はバラバラですが、

同じチャクラの数を七つと捉えるのは「ヒンドゥー・ヨーガ」ですね。

 

1500年頃の本、ハタヨーガの古典『シヴァ・サンヒター)』では

チャクラはパドマ(蓮華)と呼ばれ、同書第5章では

アーダーラパドマからサハスラーラパドマまでの「7つの蓮華」について詳述されていました☟

 

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・ムーラーダーラ

場所:肛門と性器の間

意味:根本の座

 

・スワーディシュターナ

場所:陰部

意味:自らの住処

 

・マニプーラ

場所:腹部の臍のあたり

意味:宝珠の都市

 

・アナーハタ

場所:胸

意味:二物が触れ合うことなくして発せられる神秘的な音

 

・ヴィシュッダ

場所:喉

意味:虚空(アーカーシャ)の元素と関係がある。「清浄なる輪」を意味する

 

・アージュニャー

場所:眉間

意味:教令、教勅。「意(マナス)」と関係がある

 

・サハスラーラ

場所:頭頂

意味:sahasra は「千」、ara は「輻(や)」

他の6チャクラとは異なり身体次元を超越しているとも考えられ、
チャクラのうちに数え入れられないこともある。

 

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じゃあ、そもそもこの七つのチャクラの情報はどこから来たのか?

それはヒンドゥー教の聖典「ヴェーダ」なんですね。

 

ヒンドゥー教の始まりは不明ですが、

古くてインダス文明(紀元前2300年=4500年前)まで遡ると言われています。

 

ヴェーダとは「知る」という意味で、以下の四つ書があります☟

 

・サンヒター(本集)←マントラについてまとめられている

・ブラーフマナ(祭儀書)

・アーラニヤカ(森林書)

・ウパニシャッド(奥義書)←「因果応報」「輪廻転生」の概念はここから来てます(紀元前800年=3000年前)

 

ちなみにマントラについてまとめられたサンヒターの内訳は以下になります☟

 

『リグ・ヴェーダ』(賛歌)←ヴェーダの中で最古の本

『サーマ・ヴェーダ』(歌詠)

『ヤジュル・ヴェーダ』(祭詞)

『アタルヴァ・ヴェーダ』(呪詞)

 

ちなみに、なぜ神智学のレッドビーターさんが

ヒンドゥー教のチャクラの概念を取り組んだのか?というと、

 

インドがイギリスの植民地だったからなんですね。(なんと単純!)

なので、1858年に「インド帝国」という国が生まれるわけです。

 

(でも、1914年第一次世界大戦の時にイギリスはインドに自治権を返しています。)

 

そこでキリスト教とヒンドゥー教の知的交流が盛んになり、
西欧的な合理主義の影響を受けて、

インドは近代化が進むとともに、
ヒンドゥー教の復興・改革も目指すようになります。

 

(ってことは、1回ヒンドゥー教は廃れたのかな?)

 

この時に起きた「ヒンドゥー教の改革運動」に参加した人々は、
ほとんどが上部カースト出身のインド人でしたが、

実は先ほども一瞬話に出てきた、

神智学協会の二代目会長のアニー・ベサントも参加していたのです。
(どーん!なんでお前がそこにおんねん!)

 

というのも、そもそも一代目会長のオリゴット自体が

めちゃめちゃ仏教が好きで、

神智学の祖であるブラヴァツキーとともに仏教徒になった位、
仏教が好きだったのです。

 

その流れもあって二代目会長ももちろん、

インドをサポートをしていきます。

 

そんな流れもあって、この二代目会長のアニー・ベサントは、
そのままインド国民会議派議長にまでなってしまいます。

 

のちに、このヒンドゥー教の改革運動を人は「ヒンドゥー・ルネサンス」と呼ぶようになります。
そして同じころに西洋思想に影響を受け、インドという国への意識が上がり、インド独立運動へと繋がる訳です。

 

そんな流れもあって、
二代目会長の旦那さんであるレッドビーターさんもインドと関わるだけでなく、


ヨガによって覚醒した霊視によって、とんでもなにオーラを持つ14歳のイケメン少年をイギリスに連れ帰り、紳士として育て上げ、イエスキリストの器になるべくして少年を鍛えていくようになるのですが、それはまた別の話。

 

そんなレッドビーターが帰国後に書いた本が暴騰の「ザ・チャクラ」という本な訳です。

 

ちなみにほかの宗教や国におけるチャクラの数や概念は以下の感じ☟

 

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仏教

インドの後期密教のタントラ聖典では、
一般に主要な3つの脈管と臍、心臓、喉、頭(眉間)の4輪があるとされた(四輪三脈説)。

 

チベット仏教の無上瑜伽タントラの5つのチャクラとして
大楽輪(頭頂)、受用輪(喉)、法輪(胸)、変化輪(臍)、守楽輪(秘密処)を挙げている

 

中国

中国の道家や内丹術の伝統的な身体論には、インドのチャクラに比すべき丹田という概念があるが、
清代の閔小艮はヨーガのチャクラの概念を内丹術に取り入れた。

 

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あと、最後にそもそも「チャクラ」とはなんぞや!
というお話ですが、もう疲れたので(おい!)
普通にWikipediaからコピペしまーす!☟

 

タントラの神秘的生理学説では、物質的な身体(粗大身、ストゥーラ・シャリーラ)と精微な身体(微細身、スークシュマ・シャリーラ)は複数のナーディー(脈管)とチャクラでできているとされる。

ハタ・ヨーガの身体観では、ナーディーはプラーナが流れる微細身の導管を意味しており、
チャクラは微細身を縦に貫く中央脈管(スシュムナー)に沿って存在する。

細かい脈管が円形に絡まった叢(そう)であるとされる。
(例:みぞおち→太陽神経叢)

 

現代のヨーガの参考図書で述べられる身体観では、
主要な3つの脈管と、身体内にある6つのチャクラ、
そして頭頂に戴く1つのチャクラがあるとされることが多い.....だってさ!


 

とまぁ、こんな感じでいかがでしたでしょうか?

みんなが「当たり前だ」だと思っている今の形には、

 

しっかりとした年月と歴史があって、
今の形となっているわけです。

 

しかし、今日のお話は表向き、
一般的なあらすじであって、

神智学におけるチャクラの定義や概念は
本当はどんなものなのか?

 

それはまさに今から読んでいる本

「トランスヒマラヤ密教入門①」のちょうど次のチャプター「プラーナ」で、

それについて書かれてあるようなので、
それを読んだ後に、また書きたいと思います。

できれば「チャクラが開く」とは何かの定義が
書かれていたら御の字ですね✨


それでは本日は以上です。
今回も最後までお読みくださり誠に有難うございました。

それでは、また!

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地球の脳波「シューマン共振」について☟

こちらは7年前、日本メンタリスト協会からのご依頼で制作した映像です。

 

 

 

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