人が意地を張るには理由(ワケ)がある。 | 【神の叡智】ロゴス ブログ ~ Logos blog ~

【神の叡智】ロゴス ブログ ~ Logos blog ~

このブログでは、学問的な宇宙からの叡智を発信しています。

 

10年ほど前、

 
お前には謙虚さと素直さが足りないから、一生変わる事が出来ん」と可愛がってくれてた上司に言われた事がある。
 
謙虚とは「意地を張らない事」、転じて「受け入れる事」、
まぁ、それだけの事だが、
これがなかなか難しい。

 
何故なら、人が意地を張るにはそれだけの理由があるからだ。
 
 
 
何故人は意地を張るのか?
 
 
それは過去に納得出来なかった出来事から自分を守っているからである。
 
具体的には☟
 
「あの時アレに対してああ行動取れなかった自分に悔いている」
 
もしくは
 
「間違った選択をした自分を認めると、これまでの自分を否定してしまう事に直結する、だからどうにかして正当化し自分の精神状態を守らないといけない」
 
これらの精神状態が意地を張らせる「プライド」を作っている。

言い換えればと「プライド」とはその人にとっての「過去からの心の悲鳴」という事である。
 
 
 
人からするとどうでもいいからまず人の意見を聴け!だがそうはいかない。
だって本人からすると、本当に大事な何かだったんだ。
 
だからこそ、自分を守る為
もしくは同じ過ちを犯さない為に根拠のある答えが見つかるまで、
意地を張る続けるのである。
 
 
一回火を触って火傷しているのに、
もう一回火を素手で触ってみろと、
言われたら誰だって嫌がる、

それと全く同じ事である。
 
 
 
ここまで理解すると、
これもインナーチャイルドの一種である事がよくわかる。
 
 
アドバイザーがこれを理解出来れば、
意地を張る過去の原因を聞き出し、
 
「大丈夫、もうそんな事は起こらないよ」
「あの状況では仕方がなかったね」
「間違った選択をしたかもしれないけど、君が悪かったんじゃないよ」と慰めてあげれば、
 
 
本人もインナーチャイルドの呪縛から解かれ、他人の意見も恐れずに受け入れやすくなってくるだろう。
 
 

では、自ら意地を張らないようにするにはどうすれば出来るのだろうか?
 
 
きっと多くの人が実践しているのは「過去の自分が間違っていたと認める」ではないだろうか?
 
 
 
私もその1人だったし、
そうアドバイスをする人間も沢山見てきた。
 
だから意地を張ってしまう相手に対してアドバイザーは「素直になれ」と言うのだろう。
 
これは「過去の自分は間違っていたと『素直に』認めて、意地を張るのをやめろ」という事である。
 
 
 
確かに過去の自分が間違ったと認めれば、過去から解き放たれ、
 
沢山のデータ(知識や情報)がスッと入ってくるようになり、凄まじい成長も望めるようになるだろう。
 
 
だが、その処置はあくまで表面的なモノで一時的な処置である事を多くの人は知らない
 
そんな事をしても次のインナーチャイルドを作るだけでしかない(しかも前のより酷い)
 
 
 
ここ重要
 
 
元々納得の出来なかった事への疑問、もしくは周りの押し付けによって自分の本音やしたかった行動 (☜ ここが本当の素直の自分の部分 ) が出来なかった事への後悔が、そのまま心の壁「プライド」を形成しているので、
 
「納得の出来なかった事に対して『自分が間違ってました』と認める事」素直であるなワケがなく
 
むしろ逆で「本来自分が持っている気持ちや思考」を放棄したに過ぎない。
 
 
ここ重要 (二度言いました!)
 
 
 
 
 

ハッキリいうが、

アドバイザーにとって、
考えるのを放棄した人間ほど従順で美味しいカモはいない。
 
洗脳し放題なので思いのまま相手を操れるし、
自分の話を肯定してくれるので充実感があるし、
論破した気持ちになれるので優越感に浸れるし、
 
最高の自己肯定を得られてさぞや気持ちいい事この上ないだろう。
 
しかも、洗脳される側は自分のために時間を費やしてくれたアドバイザーに感謝の気持ちいっぱいになるので、
 
感謝をされる側は「いい事をした」という錯覚によって達成感に浸れてさぞ最高に気分になる事だろう。
 
だから先輩風を吹かしたがる人が多いし、
アドバイスをしたがる人が多い、
 
(私の知人も求めてもいないのに「今度君にコレを教えてあげるよ」とよく口にするが、まさにコレの典型である。)
 
 
でもそういった人達も、
実は自分には何もないと知っているから、
懸命にそういった所で幸福感を拾っているのであり、
 
逆をいえば何もない自分を肯定したくないというプライドがあるからこそ、相手に対して謙虚さと素直さを求めているのかもしれない。
 
 
 
なるほど、アドバイザーの心理はよく分かった。
 
 
 
 
では、アドバイスを受けた側のその後の結末を伝えよう
 
結論から言うと全てバッドエンドに終わる。
 
 
まず、アドバイス通りにし、失敗した場合、
 
アドバイスをくれた人に責任は行かず自分が責められる。そこで「どうして人に意見を求めてしまったのだろう、納得の行かなかった過去の答えも結局分からないまま、本当の自分の声を捨ててまでどうして他人の意見を聞いてしまったのだろう、その人は自分の本当の声を拾ってくれない人なのに」と、より大きなインナーチャイルドを作り出す。
 
 
 
それなら結果が伴えばいいと思っているだろう。
残念だがそれは大きな誤解だ。
 
 
 
結果が伴い、これが正解だと確信をする。
だが、潜在意識では過去に対する疑問は残ったままである。

そして人はずっと同じ結果を出し続ける事は出来ないのでいずれ失敗をする。
すると過去と同じように自分は間違っていない、
もしくは相手にも非があるのに相手が非を認めない状況になったとき、
 
自分が間違った事を素直に認めろ、そうすれば成長が出来る」という
全く合理性のかける信仰を押し付けられ、
 
再び過去の疑問と重なってより大きなインナーチャイルドの種を作ってしまう。
 
しかもこっちは一度結果を出し、正解を確信した後なだけに、矛盾が酷い、故にタチが悪い。
 
 
 
では、謙虚になる為に、
意地を張らないようになる為には
どうすればいいのか?
 
 
答えは簡単。
相手も間違っていたと理論的に理解する事である。
 
大事なのは「思い込む事」ではなく「理解する事」、つまり、
 
 
事実である事に確信を持つ事」である。
 
 
 
よく「出来る人は人のせいにせず自分のせいにする」というが、その人達は自分を偽り続けている事にきっと気づいていないのだろう
 
正しさの基準は目的に依存している為、見方を変えれば正解も変わる。
 
話合いが二人である時に
目的が一つなのに、意見が分かれている場合、

その時は実は目的は一つのようで、
お互いに違う目的を潜在的に持っている。

すると一つの目的を達成するためには
二つの目的を成し遂げなければならない。

つまり正解は「二つ」必要という事だ。
そしてこの時正解した裏には同時に間違いも「二つ」生まれている。
 
つまり、間違いを含めた正解を4つ理解する必要があるのだ。
 
簡単に言えば
どっちかではなく、例外なくどっちも!という事。
どっちかでしかジャッジメントしない内は矛盾は消えない。
 
 
全ての正しさと間違いが一つの結果に内包し、存在しているのが真実であり、真理である。
ここも重要
 
 
 
なので、矛盾なく過去をありのまま受け入れるには、
 
自分の正しさと間違い、
相手の正しさと間違い、
 
この四つをしっかり把握し、
全てを理解する必要がある。
 
それによって初めて矛盾が消え、
ようやく過去の呪縛から解き放たれ、
今と向き合う事が出来るようになるのだ。

 
 

ここからは余談だが、この世界は残酷だ。

 
誰も自分の心を守ってくれる事はない。
目に見えない心を守ってくれようとする人間はごく稀なのだ。
 
これが私がここまで考えを掘り下げる理由である。



例えば以下にとても多くの人に拡散された人気な画像がある☟
 
 
ふむふむ、なるほどなるほど、

たしかに、ごもっともである。


だが、上記の14項目になってしまった原因については誰も考えない
ただ「謙虚じゃないのはNG」と言いっぱなしで、

その謙虚になれない人間の悩みや苦しみを知ろうともせず、
ダメ」というハンコだけを押す。

私からすると「謙虚である事」を他人に求めている事こそが傲慢極まりない行為である。


そして世の中が最も残酷なのは
目に見えていないモノには無関心であるという事だ
 
 
多くの人は結果を出す事が目的なので、
仮に人の心に大きな闇を作ってしまっても気づかないし、
結果を出す事で自分は正しかったと証明出来ていると思っている,
 
 
 
でも上記にあるように、
結果を出した事は正解にはならない。
なぜなら正解の裏には必ず見えない間違いを内包しているからだ。
 
 
 
だから多く成功者はのちに自己矛盾に苛まれ、
自分を救えないから人に答えを求めるが、

上記にあるように答えを知っている人間はいないのでさらなるスパイラルにハマる。
 
そして、自分を救えない人間は勿論自分にとっての大事な人助けてあげる事は出来ない。
だから「お金を稼げても幸せになれない」人が多いのである。
 
 
 
 
本当に人生を健やかに生きていくには、素粒子レベルまで事象を探求する覚悟がいる
 
でなければ一生他人が作った矛盾に苛まれ、心が病み続けるだけだ。
 
 
 
最後に矛盾を無くすの考え方をまとめておく
 
 
自分は正しい、もしくは間違っているのどちらか決めつけると矛盾が生まれる。
 
 
どちらでもないという虚無でもいいが、周りはそれを許してくれない、人と関わっていると再び矛盾が生まれる。
 
 
ならば自分はどちらも内包し、お前(相手)もそうである事を理解すれば、矛盾は生まれないし、衝突する事もなくなる。
 
そうして初めてお互いに素直(本当の自分)になれるし、そうなれば意地を張る必要がなくなる。
 
 
ここまで来て、ようやく素直に謙虚になれるのではないだろうか。
 
 
と、長くなってしまいましたが、
謙虚や素直になるには、実はお互いの相互理解が必要だったという事です。
 
 
ちなみに、アドバイザーをディスったような文面がありましたが、それはごく少数の人間で、
私を可愛がってくれた上司を含め、多くの人は本当に可愛い後輩や部下の為の事を思い、
 
一生懸命アドバイスをしているのを理解した上でこの記事を書いている事を、何卒ご理解頂けると非常に幸いです。w
 
ではでは、今回も長文をお読み下さり誠に有難うございました☆