「what's up」

「what's up」

「What's up(最近どうよ?)」と日常の気になる事や面白かったことをエッセイにしています。「そうそう、わかるわかる」とか「へえ、面白そう」とか感じてもらえたら嬉しいです。

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「なんだけど、、」とか「けどね」でおわる人がいる。
「けど」なんなんだろう?「けど」は否定形、後に続くことは何かを否定する内容に違いない。
でも、「けど」で終わってしまい何だか中途半端。
そういう人との会話は長く続かず、”シーン”ということが多い。

例えば、何かお土産を買ってきてもらったとする。
1:「あっ、このシャツ可愛い~この色持ってるけどね、、、」シーン
2:「このシャツいいじゃん、この色好きなんだよね。」

例えば、外食に行ったとする。
1:「このパスタ美味しそう~お昼は麺類だったんけどね、、」「だから?」
2:「パスタ好きなんだよね、お昼もパスタだったけど、全然オッケー!!何にしようかな?」

例えば、子どもが「宿題が終わった~」と言ってきたとする。
1:「そう、終わったの。。やって当然だけどね、、」「そりゃ、そうだけど、、、、」
2:「そう、終わった?じゃ、遊びに行こうか!」

どっちが会話が続くか明らか。
「けどね」でおわる人って、言っても仕方がないことを言う。
「だから何なの?」ってなる。

意外とそんな癖に気が付いていなくて、そういう人に限って「何も言ってくれない」とか「教えてくれない」とか思っていたりする。
そりゃ、そうだ。
何を言っても「けどね、、」とかで終わるような相手と話をしていて楽しいわけがない。
疲れるだけだ。

そういう人には悩み事を相談するような深い付き合いの友人はいない。
もちろん、相談はされない。
みんな大人なので年賀状とメールだけの平べったい付き合いをするようになる。

「言ってもしょうがないことは言わない。聞いている方が嫌な思いをするだけでしょ。」
小さい頃に教わりました。

気をつけよう、気をつけよう。










例えば自分の子どもが明らかに失敗すると分かっていることに夢中になっていたらどうするでしょう。
あなたに特殊な能力があって未来を見ることができるとします。
努力の成果空しく、失敗して失意のどん底に落ち込んでいる我が子を見てしまった。

そうですね、受験とかスポーツの選考会とか、なんでもいいです。
子どもたちは小さな心に大きな夢を抱いて必死に勉強したり、練習したりしています。
でも、その結果は失敗するのです。そう、現実の世界は厳しい。
夢破れ、その現実を前に子どもたちは現実を受け止めきれない。
「それが現実」というのは容易いが、小さな心にあまりに厳しい。

でも、今、その努力を止めさせることが出来れば
無駄に努力することもないし、落ち込むこともありません。
さあ、どうします。

子どもは親に対して色々な夢を語り、見えもしない未来に向かって走っている。
失敗したらどうしようなんて考えないで前を向いて生きている。
黙って頑張っているときもあれば、辛くて泣き言を言うときもある。
それで良いのだと思う。それが「生きている」という証拠だ。
子どもが良いようにすればいい。

でも、親はそうではいけないと思う。
いくら分かっているからといっても、子どもの先のことを言ってはいけない。
子どもが夢を信じているうちは、いくら自分が辛くても先のことを伝えてはいけない。
結果を知っている方は知らないよりもはるかに苦しいときもある。
でも、それをじっと見守るのが親の責任なんだろう。

大人の人生でも同じかもしれない。
先のことが分かっていたらどうなんだろう。
自分の気持ちとは違う道を選ぶのだろうか。
失敗しなかったことに安心するのだろうか。
それよりも、現実の世界を真剣に生きている道を選びたい。

夢を諦めることを「大人になること」という人もいる。
失敗しないような生き方をすることを「大人になること」という人もいる。
そして、子どもたちは「現実なんてそんなもんさ」と夢を語らなくなる。
何か違う気がする。せめて親くらいは夢を聞き、そっと見守ってやるべきだろう。

流星ワゴン (講談社文庫)/重松 清

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「お疲れさま、、」これは英訳が難しい言葉のひとつですよね。
いつも疲れている日本人らしい表現であまり欧米人にはない発想なんです、きっと。

私たちはいつも時間に追われている、、「やること」ばっかり、、でも、「やること」には「やらなくてはいけないこと」と「やりたいこと」があって、実際には「やらなくてはいけないこと」に追い回されています。しかし、本当の意味で忙しい人なんてほんの一部、はっきり言えば、多くの人たちにはそんなに「やらなくてはいけないこと」なんてないんです。

小さい頃から「やるべきこと」で縛られてきた我々世代はどちらかといえば、「何もすることがない」ということに対する不安感に抗うかのように忙しくしている。そう、スケジュールが真っ白だと「世の中に必要とされていないのではないか」「このままでは取り残されるのではないか」と急に不安になったりしますよね、みんなそうです。だから、忙しく(忙しそうに)している。そして、余裕がなくなる。

生きていれば「ああすればよかった~」と後悔することだらけですが、残念ながらどう頑張っても「やるべきだったこと」には戻ることはできない、、じゃ、あまり悩んでも仕方ない。なるべきしてなっただけです。将来のことは誰でも不安だし、予測もできない。「ああ、将来のことが分かっていればなあ~」なんて思うこともあるでしょう、でも、将来の結果が分かっていても今が変えられるかというと多分そうでもない。色んな環境や事情があってコトが起きているんだし、、、

じゃあ、この際、よくわからない先のことに焦り、だから忙しく動き回り、そして時間に追われるのも止めてしまえばどうでしょう。心配しなくても少し時間を持て余していても何か「やらなくてはいけないこと」は入ってくるでしょ。

そんなことより皆さんが手にしている「今、ここにあるもの」、「今、ここのいるもの」を大事にするべき。先のことは今の続き。「やらなくてはいけないこと」よりも「やりたいこと」を大事にする。その延長線上に「じゃ、これやろうか」となっていく。これが自然な姿。

そうすると不思議を気持ちも落ち着いてくる。余裕も生まれてくる。好きなことばっかりやっている単なる怠惰ではいけないのですが、きちんと育った人はそんなに道を外すものではない。実はここが大事なところ。

とにかく決まったレールの上を最短距離で進ませようと子どもたちの行動にアレコレを口を出すのもよくないと思う。そんな子たちは「やらなくてはいけないこと」でいっぱい、いっぱいで「やりたいこと」が全然ない。そんな子が将来なにかを生み出すような大人になるとは思えない。何か壁にぶつかった時、自分で考え、行動することができなくなる。

子どもたちがその時々に自然にやりたいと思うことを経験させ、失敗もさせる。人は失敗から色々と学ぶものだし、そのチャンスを奪ってしまうのは実はよくない。生きていれば、ある意味では「まあ、何とかなるさ」という潔さも必要ですよね。それを見守るのが大人の責任。彼らが本当に苦労する時には親たちはなんの役にも立たなくなっているのだから。

なんてことを思ったりしています。。

↓↓何となく手に取って読んだ本、「すること」よりも「しないこと」を考えるべきと潔く面白く読ませてもらいました。

スローライフのために「しないこと」/辻 信一

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