先日、仙台市長町の飛び地について書きましたが…
本日は仙台市内の飛び地、第2弾
その場所はどこかというと~『荒巻(あらまき)』です
土地勘のある方は荒巻と聞くと、北山の北部、『荒巻本沢』・『荒巻神明町』・『荒巻中央』のあるこのエリアを思い浮かべることでしょう
だけど、もう少し仙台に詳しい方だと…。
「そういえば『東北大学 青葉山キャンパス』のある辺りも『荒巻』っていう住所じゃなかったっけ」
と、思い至るかも知れません。
そう、東北大学やかつて仙台カントリー倶楽部があった辺り、いわゆる『青葉山』と呼ばれる周辺の住所は『荒巻 字 青葉』。
ということで、『荒巻』の住所を検索してみると…
なんとこれだけの広大なエリア
かつ、北や東にポツリポツリと飛び地が…
先に述べた荒巻の3つの町との位置関係を見てみると…
青葉山の荒巻から見て北東方向、結構離れていますがじつは昔はどちらも『荒巻村』という1つのとても大きな村でした。
それがなぜこんなに点々と離れてしまったのか。
形成過程は『長町』の時と同様、その間にある町が細分化され、独立していったから。
しかし、高度経済成長期・昭和30年代後半の団地造成をきっかけに飛び地が形成されはじめた長町に対し、荒巻はずっと遡ります。
こちらは元禄8年ごろに書かれた地誌『仙臺鹿の子』の一文を読みやすく記述しなおしてまとめたもの
「御府」、つまり仙台城下を形成する村の境について記述したもの。
上記の①、②をさらに翻訳すると…。
仙台の城下町は5つからできていて、③以降ではその具体的な境目について記述されています。
この記述などをもとに村境を書き起こした方がいます
青字が5つの村の名称。南北に走る赤い線の西側が広大な荒巻村となっていたことがわかります(南西部は根岸村)。
もともとの荒巻村は耕作地の中にまばらに人が住む面積の広い村。
やがて仙台の開府の際、
・「北山山下」「伊勢堂下」「八幡町」等→寺社町
・「北鍛冶町」「二日町」「木町」等→町人町
・「北八~北六番丁」「支倉丁」等→武家丁
などとして、人口の密集する町場は細分化して整備されました。
一方、北山から北の部分と青葉山は御城下の外側ということとなり、手つかずのまま「荒巻村」として取り残されてしまったそうです。
とりわけ青葉山一帯は「御裏林(おうらばやし)」と呼ばれる防衛上の「不入森(いらずのもり)」。
藩主の鹿狩りの場で、一般庶民の立ち入りも制限された場所でした。
昭和35年ごろに東北大学やゴルフ場が作られ始めるまでは通称で「青葉山」と呼ばれ、「荒巻」であることさえ忘れられていた様子。
北山北部の荒巻は、昭和40年前後に「水の森」や「中山」といった団地群が周りに出来たため、旧荒巻村の中心地にこじんまりと残ることとなりました。
※おまけ かつての5つの村と現在に残る地名
形成過程が一緒でも時代が全然違った長町と荒巻の飛び地。
これとは違った過程で出来上がった飛び地やもっと大きい単位での飛び地なども色々あるので…。
また気が向いたら書くことがあるかも知れません~