続いてやってきたのは、大きく左右に経巡(へめぐ)る広瀬川にかかる赤い丸の橋
「評定河原(ひょうじょうがわら)橋」の橋脚部分
『重力ピエロ』のワンシーンが撮影されました
映画の中では「玉谷(たまや)橋」という名称に変わっています
1つ下流に「霊屋橋(おたまやばし)」という橋があるので(地図の黄色い丸の部分)、変えるんだったら「おたまやばし」でいいんじゃないのと思いますが…。
この名称はストーリーと密接な関係があります。
遺伝情報を保持する塩基配列。
塩基にはアデニン(A)、チミン(T)、シトシン(C)、グアニン(G)の4種類あり、AはTと、CはGと結びついて二重らせん構造を形成します
連続発生している放火現場の近くにあるグラフィティーアートに書かれた文字の頭文字と、その付近の建物などの名称の頭文字。
それはまさしくA-T、C-Gの組み合わせになっており…。
これは大学で遺伝子の研究をする兄、泉水に関心を持ってもらうために弟の春が仕組んだもの。
A、T、C、Gのいずれかになる名称が必要なこのケースでは、評定河原橋の「H」や霊屋橋の「O」ではストーリーがつながらない…。
ということで「T」となる「たまやばし」という名称になったという訳です。
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よーく見るとうっすらと「たまやばし」と書かれていた跡が
ロケ地のこんな痕跡が見られるのも面白いものですね
さて、先ほどのカフェの近くに戻って石垣を見てみると…。
左右が古い石組みで中央だけが新しい石垣となっているところがあります。
ここはブラタモリのロケ地
この辺一帯はもともとは武家屋敷街だったところ
ここはその門だったところを明治になってから新しく石垣でつないだ部分なのです。
仙台は「杜の都」と呼ばれますが、そのルーツがここにあります。
戦で負けた伊達藩。120万石あった石高は62万にまで減らされました
禄(ろく)、いわゆる給料を与えるのが厳しくなるため普通だったら武士をリストラするところですが、部下思いの政宗はそうはしなかった。
「リストラしないかわりに自分で出来ることは自分ですること。」
政宗は武士に、庭に植物を植えることを命じました
柿や栗など実がなるもの、松や杉など建材や燃料になるもの、庭には畑を作り、垣根はお茶に…と、自給自足で生計を立てるようになります。
江戸でさえ武士の比率は5割程度。仙台は政宗がリストラしなかったため、武士の割合は7割から8割にも上りました。
こうして多くの武士がそれぞれ生活のために木を植えていったため、やがて仙台は杜の都となっていきました
裁判所付近や東北大学のもともと武家屋敷街だったところには、今も古い大きな木がたくさん立っています。
余談ですが、こうした大きな建物が建っているところは、もともと武家屋敷や大名屋敷だったというケースも多いみたいです。
東京の六本木ヒルズやミッドタウンももともとは大名屋敷跡。
そうそう、仙台の西公園も、明治時代に3邸の武家屋敷を収容してできた公園なんだそうですよ~。
………。
遺伝子とブラタモリの説明をしてたら長くなっちゃったので今日はこの辺で
つづきはまた明日~