青葉山と信夫山の意外な?つながり | お気楽市民ランナーの! ネコとマラソンと食事♪…ときどき温泉

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仙台市中心部の西側に位置する青葉山(あおばやま)大山

 

 

有名な伊達政宗公の騎馬像が立つ仙台城(青葉城)があったところ政宗騎馬像

 

青葉山というのは特定の山の名前ではなく、仙台平野の西を縁取る丘陵群の一つの名称。

 

一方、福島市の中心部にある信夫山(しのぶやま)山②

 

「福島」の名前の由来であるとか、「となりのトトロ」の主題歌のモデルとなっているとか、は知る人ぞ知る?

 

その辺については後日あらためて書くかも~てへぺろきらきら

 

さて、仙台市の青葉山と福島市の信夫山。

 

この2つの山には深~いつながりがありますシャーク

 

時は慶長5年(1600年)、福島の「松川の戦い」で上杉景勝と伊達政宗が戦った際、政宗は劣勢に立たされました戦う

 

この時に政宗をかくまったのが信夫山にある羽黒神社の別当寺(:神社を管理するために置かれた寺)、寂光寺(じゃっこうじ)寺

 

夜半に裏手から仙台に帰らせたといいます競馬

 

この寂光寺の山号(さんごう)がじつは青葉山(せいようざん)。

 

山号とは、仏教が普及し同名の寺院が建立されるようになった際、区別するために地名やイメージ、仏教用語などから付けるようになったもので、○○山○○寺というのはよく見かけますね。

 

寂光寺はその功績が認められ、慶長7年(1602年)に信夫郡信夫山から仙台城本丸の対岸、竜ノ口沢に移されました。

 

その山号から次第にその辺一帯を青葉山(あおばやま)と呼ぶようになり、「青葉城」という雅称も生まれました。

 

寂光寺はのちに羽黒神社とともに青葉区北山に移転し、今は羽黒神社のみが輪王寺の向かい側に残っています。

 

青葉山と信夫山。

 

2つの山は政宗公によって深~く結び付けられていたんですね~縁