白石(しろいし)市の変わった地名、第3弾
白川犬卒都婆(しらかわいぬそとば)という場所があります
もともとは白川村と犬卒都婆村でした
で、ちょっと気になる地名、犬卒都婆
国土地理院の表記では『犬卒都婆』となっていますが、「角川日本地名大辞典」などではもともとは『犬卒塔婆』と表記。
卒塔婆とは供養のために用いる細長い板のこと
故人や先祖を供養することによって冥福につながると考えられ、また塔婆を立てることが「善」とされています。
塔婆供養は先祖への善だけでなく、自身の善い行いとして奨励され、「追善供養」とも呼ばれます。
そもそも「そとば」とは、古代サンスクリット語の「ストゥーパ」を漢訳したもの。
ストゥーパはお釈迦様の遺骨を納めた仏舎利塔のこと。
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タイのストゥーパ。
卒塔婆はこのストゥーパを模したものです。
本題の「犬卒塔婆」とは、二股に分かれたY字形の木に経文を書いたもので、村境や三叉路、川辺、墓場の入り口などに挿して祀ります。
この行事は、千葉県や茨城県の利根川下流域では多産で安産な犬にあやかる安産祈願として、栃木、福島、宮城などでは家畜などの動物の死を弔う、という意味合いを持っています。
白石市の犬卒都婆には実際に「犬卒塔婆」と呼ばれていた石碑があります。
ここには2つの伝説が存在。
●『安永風土記』によれば…。
「岩の上」というところで良犬を飼っていたが死んでしまい、そこに石碑を建てて供養したことに因んだ。
●『宮城縣史 民俗 3』によれば…。
嵯峨天皇の時代の京都に二股の角が生えた大きな猪が現れ、人々を脅かした。小野篁(おののたかむら)は勅命を受けてこれを追い、会津磐梯山でマタギの兄弟と出会う。兄弟の飼う白犬とともに蔵王山麓で猪を追い詰め、ついに仕留めるが、犬は格闘の末死んでしまった。その供養のために塔婆が建てられた。
馬の供養として馬頭観音の石碑が建てられているのは見かけますが、犬の供養に木ではなく石碑が建てられているのは珍しい。
「イノ」と「イヌ」は民俗学的には相通じるものがあったり、もともと東北は馬の供養をを重視する地域なので、単純に「イヌ」=「犬」ではないとされますが…。
しかしながらこの伝説、とくに2つ目のを聞けば木ではなく石碑になっている、というのも納得できるかも~
この地名の由来については最終的な結論は出ていないみたいですが、色々調べたり考えたりするのも面白いものです