うちのご先祖さま | お気楽市民ランナーの! ネコとマラソンと食事♪…ときどき温泉

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平凡なファンランナールミナス7の日常を、マラソンネタを中心にネコ、ラーメン、ゴルフ、お酒、映画などの話題を雑多におりまぜながらのんびり綴っていきま~す !(^^)!


しとしと雨降りだったので本日のランはお休み~(あっさりしすぎ!?



今日は私の母方のひいおじいさんについて書いてみたいと思います。


ひいおじいさんは現在の岩手県花巻市東和町に生まれた、小田島孤舟(おだしまこしゅう)という歌人(1884年-1955年)。また、教育家、書道家でもあったそうです。



(※写真は盛岡市のホームページより)



72年の生涯で短歌3800余首、歌集15編、著書7冊を残しています。


自ら歌人として立つだけではなく、詩歌誌「曠野(こうや)」の刊行、歌誌「ぬはり」「みちのく」「岩手歌人」などの育成、そして「杉風(さんぷう)」「きたかみ」「岩手アララギ」といった短歌会の指導など、明治・大正・昭和の三代に渡って岩手歌壇の育成と確立に努めたため、『岩手歌壇の父』と呼ばれるそうです(昭和20年に第一回岩手文芸功労賞を受賞)。



交友関係も広く、与謝野鉄幹や窪田空穂などに短歌の指導を仰いだほか、同時期に活躍した石川啄木とも深い関わりがあったそうです。


啄木が盛岡で「小天地」を出版した際に孤舟が会いに行ったり、東京で刊行された「明星」にお互い短歌を出したりと影響を与えあっており、啄木の晩年まで親しい付き合いがあったそうです。


また宮沢賢治ともゆかりがあります。


賢治の父親が花巻で仏教の講習会を開いた際に孤舟も参加しており、この時講習会のゲストのお世話係をしていた賢治とも会っています。


そして賢治が自分のおこづかいで孤舟の歌集「郊外の丘」を買っていることもわかっています。


晩年は現在の二戸市の浄法寺尋常高等小学校校長をはじめ、現在の盛岡二高や盛岡市立高校、岩手女子高などで教鞭をふるい、その縁もあってか岩手県を中心に数多くの校歌の作詞 を手掛けています

(もしかしたらあなたの卒業した学校の校歌もはてなマーク)。


ちなみに校歌以外の作詞はほどんどしていなかったので著作権料はたま~にしか入ってこないって祖母が昔言ってました。



孤舟の歌碑は3つあり、二戸市浄法寺の安比川河畔と盛岡市役所裏手の中津川河畔、そして盛岡市高松の池のほとりに建てられています。




「われひとり よのつねびとの みちこえて


しづかにゆかむ さびしかれども」



※高松の池の歌碑より





とまあ、そういう人だったそうです。


「そんな才能のひとかけらでも受け継いでいたらなぁ~」なんて思っちゃいますが違いますね。


要は本人の努力の問題ですね。



盛岡市には岩手県の発展に貢献した人々約130人の功績をたたえて造られた『盛岡市先人記念館 』という施設があり、その内の一人としてうちのひいおじいさんも入っているので、もし機会があったら立ち寄ってみてくださ~い。