普段は男児2人と
シンママのブログですが
たまに私の過去話〜⑤
高校時代
3年生の秋頃、私は家を出ました
でも今まで
絶対に卒業だけは…
と通い続けた高校
ここで断念したくない
と制服だけは持って出ました
行き先は彼のアパート
当時付き合っていた彼が
社会人で一人暮らし
当たり前のように
彼のアパートへ行きました
彼のアパートへ転がり込んだのは
これで2度目
1度目は彼に説得され
家へ帰りました
そして今回の2度目
受け入れてくれました
それから私はそのアパートから
高校へ通ったんです
早朝にはいつも
ポケベルが鳴り響いてました
母が仕事終わりにひたすら
私のポケベルを鳴らしていたんです
折り返しの電話を待っていたのか
それとも朝起きられない私を
起こしてくれていたのか
分からないけど
ごめん、だけど今は電話出来ない
と心の中で謝っていました
実家から高校までは40〜50分位
彼のアパートからは1時間半位かかります
それでも卒業しなきゃと
通いました
遅刻は多かったけど通い続けました
持っていた通学定期の期限が切れると
少しでよかった交通費も
片道1000円近くなりました
母が別れ際にくれた茶封筒
中に入っていたお金20万円
電車賃や食費に使っていたら
すぐに無くなってしまう
私はバイトを始めました
当時フロムAやanという
アルバイト情報誌があり
週に1〜2回発売されていました
(今で言う紙媒体のタウンワーク。当時は100円か200円でコンビニやKIOSKなどで売ってました)
とにかく時給が良くて
すぐ働けて日払い可能
そんな感じで探し
ビラ配りを見つけました
(当時は履歴書を出すと
だいたい雇ってくれた
煩わしい銀行口座の登録や
親の承諾書など不要でした)
某有名な英会話スクールのチラシを
歩いてる人に渡す
単純な仕事ですが
季節は冬でした
学校帰りの制服姿のまま
手がかじかんで紙が上手く取れない
差し出しても受け取ってもらえない
立っている事を邪魔扱いされる
だんだん嫌になってきた頃
バイトの先輩が教えてくれました
そしてその通りにやりました
何百枚かのチラシを
駅のゴミ箱に捨てる
少し時間を潰し
終わりました〜と
事務所へ戻る
(最悪最低なクソガキです猛省してます)
数千円を受け取り帰る
これが明日の電車賃と食費
そんな生活を数ヶ月
そして学校の出席日数が足りない分は
先生に頼み倒し
何とか卒業出来る事になりました
そして卒業の日
卒業式が終わると
私は母には報告しようと
乗り換え駅の公衆電話から
家へ電話しました