あなたにとって『常識』って何ですか?
こんにちは、伝田眞大です。
『常識』って、『言い訳』と訳せるときが、
結構な頻度でありませんか?
何でもかんでも『常識』という言葉で片付けてしまい、
自分の行動に勝手に制限を掛け、チャレンジしない自分を
正当化してみたり。
私には、思い当たることが多々あります。
というよりも、「それは常識。」と言葉にしなくても、
反射的に判断しているように感じます。
「(それはできないのが常識だから)やるのは馬鹿げてる。」
といった感じです。
()の中は、心の声というよりも前提条件になっていますね。
『常識』という思い込みに、
一体どれだけの価値があるんでしょうか?
ちょっと考えてみてください。
『常識』ってどんなときに使っていますか?
私の場合は、自分の生きたい人生から逃げる手段が『常識』、
そんな風に思います。
生きたい人生って、大変で、辛くて、嫌なことを
乗り越えなきゃならないときが多々ある人生なんです。
だから、楽だけど、平凡で、詰まらない人生に逃げ込む
手段として、『常識』ってものを活用しているんです。
さらに厄介なのは、
自分の人生を生きようとしている人に対して
『常識』を使って台無しにする輩がいることです。
「そんなの無理に決まってんじゃん!」とか、
「なに夢みたいなこと言ってんだよ!」とか、
「普通に考えてみろよ!」
なんてことをよく口にする輩です。
そんな輩の人生はどうかというと、
これといった起伏も無い、聞いていても欠伸がでるような
詰まらない人生だったりします。
そんなんじゃ、
自分で檻の中に入って、餌を貰っている野生動物ですよ。
心では納得していないくせに、
頭で納得しようとして言い訳を考える。
結果として出てきた言い訳が、『常識』なんでしょうね。
違うという人もいるかもしれません。
それはそれで良いと思っています。
だって、そう思うあなたの人生ですから、
好きなように生きれば良いんです。
ただ、檻の中で安全に暮らせる時代は終わってしまいました。
安全だと思えていた檻自体が破壊されるような時代です。
破壊された後、あなたは自力で生きていけますか?
餌は自分で獲れますか?
檻が壊れてからどうしようでは、もう遅いし、
檻の中で知識を得たとしても実践では役に立ちません。
まずは、自分で檻から出るべきだと思います。
『常識』という檻は、初めから無いのですから。
今までの常識に塗れた世界は、檻の中の小さな世界。
一歩檻から出たら、とんでもなく広大な世界が待っています。
それは本当にエキサイティングな世界です。
いろいろなこともあるでしょう。
でも、檻の中に戻りたいと思わなくなるような
自分を生きてるって思えるような世界なんです。
あなたの人生は、檻の中で完結しますか?
それとも、一生では体験しきれないような広大な世界を
思いっきり満喫しますか?
「それは『常識』でしょ!」
そう思ったときに意識してみてください。
今日も読んでくださって、ありがとうございました。
引き続き、ぶっちぎりで!!
iPhoneからの投稿