どんなことも小さく見てみませんか?
こんにちは、伝田眞大です。
前回の内容の補足というか、昨日記事を書いている
途中に思ったことを、書こうと思います。
どんなことでも、小さな塊が組み合わさって出来て
います。
形あるものであれ、ないものであれ、概念であれ、
思いであれ、何であれです。
ということは、小さな塊の組み合わせですから、
どんなものでも分解ができるんです。
突然ですが、嫌いな人っていますか?
たぶん、誰にでもいるのではないでしょうか。
そんな人の中で、本当に嫌いな人って、全力で否定
していませんか?
全てが嫌いだと思っていませんか?
良いところなんて一つも無いと決めつけていませんか?
人って、ひとつのことに集中すると周りが見えなく
なりますよね。
映画やテレビ、ゲームなどに集中して、周りが気に
ならなくなったことがあると思います。
嫌いな人にも、これと同じ現象が起きています。
嫌いな部分、嫌な部分、苦手な部分にだけ意識が
集中してしまい、それ以外の情報を取らないように
してしまっています。
それも無意識に。
この人は嫌いって、一塊に見てしまっているんですね。
でも、上述したように、どんなことでも小さい塊に
分解できるんです。
意地にさえならなければ、好きな部分、許せる部分、
仕方ないと思える部分が見えてくると思います。
この考えは、人にだけ言えることではありません。
事柄にも言えることです。
悪い部分しか見えなければ、苦痛でしかありません。
でも、その嫌なことに、少しでも楽しいことや自分が
好きなことが含まれていたとしたら、如何でしょうか?
きっと、嫌な思いが多少は薄まるのではと思います。
結局、そんなもんなんです。
自分に都合が良いことは良く見え、都合が悪いことは
悪く見える。
だったら、都合が良いことを創ってでも、嫌なことを
楽しめるようにした方が、よっぽど良いですよね!
今までと違ったことをするには、慣れが必要です。
慣れるためには、繰り返しやることが必要です。
練習あるのみってわけです。
例えば、こんなことを意識してみては?
「あの人の●●なところがもの凄く嫌い!
だけど、▲▲なところは良いと思う。」
嫌いな人の良い部分を探す練習をするんです。
嫌いなことのでも良いですね。
これが出来るようになったら、今より人生が楽しく
なる。
そう思います。
今日も読んでくださって、ありがとうございました。
引き続き、ぶっちぎりで!!
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