島田朱美です。


わたしは10月より中尾亜由美さんのコンサルを受けています。


マイヒストリーを書いてみよう!というお題をいただいたので
これから幼少時代から今に至るまで、いろいろと掘り下げて
書いていこうと思います。


ってことで、まずは幼少期〜


島田朱美
1980年4月28日に滋賀県高島市で生まれました。




体重は3,880グラム

でかっ!



「お母さんはこのとき20キロも太ったんやでー、ギャハハ!」
と母は
未だに自分の武勇伝を持ち出してきます。


おかん…

今、妊娠中にそれだけ太ったら
お母さん、妊婦健診で しばかれるで!
良い時代に産んでくださいましたねー。


とまぁ
わたしはその後も順調にぷくぷく育ち
歩くと自分の重さでひっくり返る、という体つきではありました。


おきあがりこぼし のように
ひっくり返っては起きる、の繰り返し。





姉、わたし、弟の
三人兄弟の真ん中で育ち





歳の離れた姉と一緒に遊ぶ、というよりも
言うことを聞いてくれる弟と
一緒に過ごすことが多かったです。

子分にもしていました。




滋賀には琵琶湖があり、
夏になると泳ぎに行きましたが
わたしは水が怖くてよく泣いていました。

泳げなかったから怖かった、というのもあるんやろうなぁ。
今でもカナヅチです。




また近くに箱館山、マキノスキー場がある地域なので
冬はどっさり雪が積もります。

大雪の年には
父が屋根から雪の滑り台を作ってくれました。
これはほんまにうれしかったなぁ。




目立ちたがり屋な性格だったみたいで
写真を撮るときも何かポーズをしていたり




姉が通っていた保育園の運動会では

「アラレちゃん音頭」を園児たちを差し置いて
真ん中で一人、踊っていたそうです。



あんた、目立ちたがり屋やったで!と
未だに姉から言われてます。



また、大人の世界に憧れて
5歳の時には初恋を経験し
大人たちと一緒にドラマを見たり
大人の会話を側でじっと聞いていたこともありました。


こんな髪型やけど
ませてました。




保育園に通うようになってからは
目立ちたがり屋の性格は大人しくはなりましたが
卒園文集で、大きくなったら何になりたい?という項目に


Aこーぷのアルバイト


と書いて、みんなに唖然とされました。



※Aコープとは、農協が管轄しているスーパーで田舎に多いです。




女の子はだいたい
お花屋さんになりたい、ケーキ屋さんになりたい、お菓子屋さんになりたい、という夢が多いのに、
Aコープのアルバイトて!



いや、今となってはバーコードでピッ!って商品を通していくけど
当時のレジ打ちは カタタタタ!と数字を打ちこむ姿がかっこよかったんだよー
憧れてたんだよー


そんなことをすっかり忘れていた小学生のころ
同じ保育園やった子から


朱美ちゃん、将来Aコープのアルバイトになりたいって言ってたよね!
と言われました。



ぎゃー恥ずかしい!
なんでそんな話を今更引っ張り出してくんねん!
バカにしてんの?
何なん、腹立つわー!


って顔面が真っ赤になったこともありましたが


今となっては

すごく おいしいネタになってる…


当時、そんな夢を書いた6歳だったわたしを
思いっきり褒めている所存でございます。



女ケンシローとか言っちゃうわたしは
幼少期からちょっと変やった!目立ちたがり屋やった!ということでした。


つづきはこちら
お父さんから嫌われていると思っていた幼少期