島田朱美です。


今、自分のマイヒストリーを書き出していて
過去を振り返っています。


幼少期は目立ちたがり屋で、変でした。

やっぱり目立ちたがり屋で、変だった【マイヒストリーその①幼少期】



その幼少期の時
お父さんからされて嫌なこともあったのと





お父さんに嫌われている




って思っていたことがありました。
そのことも書き出したいと思います。






わたしは幼少期は好き嫌いが多くて、食も細く
通っていた保育園でも給食のおかずが全然食べられなく、長い時で2時間かかっていました。
それは、当時のお便り帳にも書かれていました。



肉じゃがや鶏肉のパサパサしたものが喉を通りにくくて、飲み込めなかった。



でも、ラーメンなどの好きなものは
10分でペロリと食べていたという
極端な感じでした。



それは自宅でも同じで
好きな食べ物なら残さずに全部食べれて
嫌いな食べものは最後までお皿に残っていました。



そんな様子を見た父は




全部食べろ!




と叱り
斜め前に座っていた場所から父のお箸で
ペシン!と頭をよく叩かれていました。




痛っ!




何で食べへんねん!?




…嫌いやから




好き嫌いするな!




また箸で叩かれる。




食べへんかったら、大きくなれへんぞ!





嫌や!食べへん!



って、じーっとお皿に残ったおかずを見ていたら




そんな悪い子は、家から出したる!



って、玄関から追い出されて鍵かけられた。






えー!って
ぶわ〜って
一気に涙が出てきて




ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいー!




って
泣きながら謝ったけど




なかなか許してもらえず
家にも入れてもらえない。




田舎の夜は灯りが少なくて真っ暗で怖い
離れた集落のお寺の鐘が鳴ってるのがまた怖かった。



それと、ご飯茶碗にご飯つぶが少し残ってるだけで箸で叩かれて、外に出される。





痛いし怖いし、ほんまに嫌やった。




それと、悪い子やったら家から追い出される、という恐怖もあった




悪い子やったらあかん
いい子でいなあかん…
でも食べられへん!
お父さんだって、ハンバーグ食べへんやん!
なんでお父さんは良くて、わたしは残したらあかへんねん!


って思ったけど



お父さんの存在がその時怖くて
何も言えなかった。




普段から口数少なくて
そんなに一緒に遊んでなかったから
その時は怖いだけのイメージしかなかった



当時は食べ物残したら、もったいないオバケがくるとか
アフリカの子供は食べるものがないから、
お前は絶対に食べなあかんって言われたけど






そんなこと言われても、わからん!
お父さんも食べろやー!





って、わたしも心の中では怒ってた





で、しょっちゅう家から出されるから






お父さんはわたしのことが嫌いなんや…




とも思い込んで、悲しかった。

だからしょっちゅう家から出されるのかって。






その当時は知らなかったけど
お父さんは終戦の年に生まれて
7人兄弟の6番目で
農家だったそうです。





農家でも食べるものが十分ではなくて
いつも満足にお腹を満たしていたわけではなかったみたい
米作りをしていたから、お米一粒一粒のありがたさも身に染みていたんやろうなぁ



だから食べるものに苦労しない時代に生まれた わたしが、残しているのが気に入らなかったんやろうなぁ
食べ物を粗末にして欲しくないっていう想いもあったんやろう




今ならわかるなぁ




で、外に追い出されたのも嫌やったけど





悪い子は家におらせへんって言われて悲しかったな




お父さんはわたしのこと嫌いなんやって
思ってしまったやんか!
好かれるには食べなあかん、でも食べられへん
どうしたらいいんやろう?って子どもながらに悩んだなぁ



まぁ、実際は嫌われてはなかったけど。




それでお父さんは今でも、
とくにうちの長男にしっかり食べなあかんやろー!って言ってくるけど

その気持ちもわかるけど
もう、言わなくていいよー




長男も食が細くて好き嫌いが多いけど
なんとかなるよ
ご飯つぶも食べてるよ



大丈夫やから
お父さんはそっと見守っていてくださいな♪



怖いけどほんまは心配性なお父さん
いつもありがとうね



わが家の食事のことはわたしたちに
任せておいてねー。


つづきはこちら
ピアニカを借りに行ったときの、お姉ちゃんが怖かった【マイヒストリーその②小学生】