【010 #B級F1ドライバー列伝 #F1jp 】 ベルント・シュナイダー | B級F1ドライバー列伝

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F1界ではもうひと踏ん張りな活躍ぶりだったドライバーを
ゆるく紹介します

ドイツのツーリングカー選手権

「DTM」には「ミスターDTM」が

います。

 

その名は「ベルント・シュナイダー」

 

メルセデス・ベンツとの関係が深く、

優勝回数は数知れず、

チャンピオンも複数回獲得!

 

それだけ素晴らしいドライバーも

実はF1で挫折した経験があります。

 

 

 

1987年のドイツF3チャンピオンで、

88年から飛び級でザクスピードより

F1参戦です。

 

ザクスピード自体は1980年半ばから

F1に参戦していたドイツのチームで

フェラーリのように、エンジンも含めて

全て当時は自社製でまかなっていた

チームでした。

 

ただ、成績はフェラーリのようにはいかず、

鳴かず飛ばず。

 

その為、デビューした年は、

全16戦中予選通過はたったの6回。

80年代後半は参戦台数も多く、

予選落ちが出ていたんですが

ことごとく弾かれていたんですね。

 

決勝最高は12位。

これでは当時6位までだった

ポイント圏内は夢のまた夢。

 

 

 

そして、1989年。

チームに大きな変革が訪れます。

ターボエンジンの禁止です。

 

その為、参戦以来自社製エンジンで来た

ザクスピードは初参入の日本のヤマハ

チームメイトに鈴木亜久里を採用。

デザイナーにはフェラーリでも

才能を発揮した

グスタフ・ブルナー

 

この話だけを聞くと、かなりの条件を

整えたように思えます。

 

しかし、ブルナー作のマシンは大幅な

期待外れ、ヤマハエンジンは熟成が足りず、

全然走ることが出来ず・・・。

 

鈴木亜久里が16戦連続予備予選落ちする中、

シュナイダーは2戦で決勝進出!

 

開幕戦のブラジルGPと

終盤の日本GPでした。

結果は共にリタイア。

 

二人のドライバーにとってもこの一年は

殆ど収穫はなかったのではないかと

思われます。

 

そして、1990年。

もちろんというべきか、シュナイダーに

レギュラーシートはありませんでした。

 

アロウズから2戦だけのスポット参戦で、

一戦は決勝12位、もう一戦は予選不通過

に終わりました。

 

F1ではポイントも獲得していない

ドライバーですが、DTMでは代表的な

ドライバーとして前述のように

活躍します。

 

だから、腕はあったのに巡りあわせが

F1では悪かったと言えます。

 

運命というのは不思議なもの。

 

シュナイダーを見ていると、

そう感じずにはいられないですね。