メルセデス三羽烏といえば、
ミハエル・シューマッハー
ハインツ・ハラルド・フィレンツェン
そして今回紹介する
カール・ベンドリンガーです。
90年代初頭に当時は
F1に参戦していなかった
メルセデス・ベンツが
若手育成ドライバーとして
1989年のドイツF3での
ランキング1~3位を
育成ドライバーとして
採用をしたんです。
その中でもベンドリンガーは
誰よりも将来を嘱望された
ドライバーでした。
F1デビューは1991年の
終盤戦の日本GP 鈴鹿です。
チームは日本の息がかかっていた
レイトンハウス。
覚えている方もいるかもしれません。
マイアミブルーのカラーリング
鮮やかでしたが、2戦出場
共にリタイア。
この年はシューマッハーは
ベルギーGPでデビューをし、
速さを見せて世界を
驚かせましたね。
本格デビューは1992年。
レイトンハウスがチーム名を
マーチにしての参戦です。
チームの資金難があり、
フル参戦は出来なかったものの、
開幕戦南アフリカGPの予選7位、
カナダGPの決勝4位は
光る結果となりました。
そして、いよいよ1993年。
本命チームザウバーからの参戦!
チームもデビュー年でしたが、
元々メルセデスと組んで、
ルマン24時間レースなどに
出場していて、ザウバーと共に
F1界に返り咲く予定・・・でした。
しかし、参戦直前の役員会で
参戦が否決され、プライベート
エンジンメーカーのイルモア
(レイトンハウス、マーチ時代も
イルモアでしたね)
を積んで、マシンには
「コンセプト・バイ・メルセデス」と
表立たないものの、
裏では何らかの援助があったことを
伺わせる形での参戦となりました。
開幕からシングルグリッド
(予選で10位圏内)に
なるものの、五戦連続リタイア。
その後、マシン開発競争で後れ、
後半戦につれ予選はズルズル
落ちていくものの、
決勝は4位と5位が1回、
6位2回の7ポイントをゲット。
チーム参戦初年度ではまずまず。
1994年。
あのアイルトン・セナが亡くなった年。
ベンドリンガーにも大きな転機が
やってきてしまいます。
それはセナが亡くなった
サンマリノGPの次レース
第4戦モンテカルロ。
開幕3戦で既に4位と6位に
入賞し、更なる活躍が
期待されたところでした。
フリー走行中のクラッシュで
なんと意識不明に・・・
一時は生命の危機もあり、
なんと20日以上にわたり
意識不明になったものの、
奇跡的に意識を取り戻しました。
94年シーズンは以降、
最終戦まで全休。
1995年の開幕レースで
なんと復帰を果たしました!
しかし、本人もなぜ?と
言ってしまうくらい、
元の速さはありませんでした。
開幕から4レースの
予選最高位は19位。
ラスト2戦の鈴鹿と
オーストラリアの
アデレードにも
出場しましたが、
結果は変わりませんでした。
メルセデス三羽烏として、
一番期待をされていたものの、
F1での成績はシューマッハー、
フィレンツェンに比べて
どうしても見劣りしてしまいます。
大きな人生の転機があっても
F1から離れた後も
別のレースに出場しています。
フィレンツェンはF1で優勝しましたが、
ドイツのツーリングカーレース
DTMでは大成せず。
シューマッハーはF1引退後に
スキー事故による後遺症から
表舞台には暫く出てきていません。
各者人生いろいろ。
どんな人生になっても、
良い事ばかりではない。
幸せなことも、不幸なこともある。
レースに長く携わっている
ベンドリンガーはある意味で
誰よりも幸せなのかもしれません。
彼を見ていると、いつなんどきも
諦めてはいけないなと思わせて
くれます。
セナの死去、ベンドリンガーの
大クラッシュを契機に、
F1界もマシンの安全性に
特に配慮するようになりました。
そういう意味ではとても大きな
貢献をしたドライバーとも
言えそうです。