我ら、いま旅立ちの刻 | ベリーグッドマン オフィシャルブログ Powered by Ameba

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2015年12月1日
大阪ワンマンライブにて、ファンの皆様の前で
発表させて頂いたメジャーデビュー。
様々な期待を胸に決意を新たにしたことを
鮮明に覚えています。



そして本日ベリーグッドマンは
無事ユニバーサルミュージックより
大祝福を受けながら
メジャーデビューをさせていただきました。



本当にありがとうございます!
心から感謝いたします。



これまでに支えてくださった皆様
そして現在もサポート、応援をしてくださる皆様
メンバー、スタッフ、そして何よりも
ファンの皆様方には感謝してもしきれません!
本当に本当にありがとうございます。




これからが出発です。




常に真剣勝負で、
いかなる時も真摯に音楽と向き合い、
ファンの方々に納得して頂ける作品づくりと
ライブづくりをやり抜く覚悟ですので
今後ともどうかご指導よろしくお願い致します!




今回リリースとなった
「ありがとう~旅立ちの声~」ですが
既に多くの方から温かいお言葉を頂いております。
本当に嬉しいです。
ありがとうございます。



この曲は、22年前に天国へ旅立った
僕の父親へ向けた感謝の人間讃歌です。
当時 僕は5歳の幼稚園児でした。


雪が降る季節だったと思います、
朝方6:00ごろ父親の恩師である脇坂さん
というおじさんが、寝ている僕を起こし
「よーくんな、
お父さんがさっき亡くなったんや。
だからな、顔 見に行こうか。」
と優しく僕に言ったのです。


僕は何のことかあまり分かりませんでしたが、
何となく家族みんなの空気感で、急にとても
悲しい気持ちになったのを覚えています。


父は16歳から日本料理の板前をやっていたので、
お弟子さんやお客さん、友人など
合わせて200名ほど葬式に参列したそうです。


そんな中で始まった葬儀。
今では多くを覚えていませんが、
何とも言えない悲しさと寂しさと、
母親の毅然とした振る舞いへの安心感のなか、
僕は仏壇の前に座って手を合わせ、
ずっと「お父さんごめんなさい」と言って
泣いていました。
幼いながらも、
それが僕の精一杯の追善供養でした。



葬儀が終わってからの半年間も、
寝る前になれば「お父さんごめんなさい」
と、布団の中で祈るように泣いて、
気づけばいつも寝ていました。



小学5年生になり、ビートルズの音楽と出会い、
お年玉でアコギを買い、中学 高校では
吹奏楽でトランペットに励みました。

中学2年生の時に初めて歌を作りました。
当時ウルフルズの「笑えれば」をモチーフに
アコギで作ったと思います。

高校ではトランペットを挫折し、
それまでに祖父と祖母2人を亡くしました。

進路がなかなか決まらず「音楽をやりたい」
と常に思いながらバイトをしていました。

曲づくりも慣れてきましたが、音楽の道に進むか
サラリーマンとして就職するか悩んでいました。


そんなことを考えていると、脇坂のおじさんが


「よーくん、この手紙知ってるか?」


と一枚の原稿用紙を出しました。


そこには、


「旅立ちの声」西村正彦


とボールペンで書かれており、
今までのさまざまな苦悩と、
縁で出会った全ての人への感謝が
深々と綴られていました。


僕が3歳の時、こう頭がんという病気で
父はすでに闘病生活を始めていました。
最初は医師からは
「ガンが進行しすぎて、
ご主人の命は3日と持ちません。」
と言われていました。

しかしその日から2年間、
苦しみながらも父は生き抜きました。


そんな中で綴ったこの手紙は、
力強く父の人生を物語るような
ドラマチックな文章でした。


この手紙を受けて、
僕は「歌を歌おう」と心から思いました。
18歳の時です。


つづく。