電車に乗っていると、大半の方々が携帯電話の画面を見ている光景を目にします。


それはよいのですが、あれほど社内アナウンスや貼紙で、「優先席付近での使用禁止」を言われているのに、それでも平然と優先席に座って携帯の画面に見入っている方があまりに多いのです。


先日も電車に乗っていたときに、優先席の前後6シート全てに若者が平気で座ってました。ゲームをしてる人、音楽を聞いてる人、メールをしてる人。高齢者や赤ちゃんを抱いた女性や、体の不自由そうな方が次から次へと乗車してくるのに、誰も知らんぷり。自分のことに熱中して、周囲の状況が目に入らないのです。



途中まで何もせずにガマンしていた私ですが、その優先席のすぐ近くで立っているのが辛くても何も言えない高齢者の姿に、勇気を出さなきゃと思って、「こちらにどうぞ」と言って優先席に誘導しました。一人立ってくれたので何とか座れたのですが、他の方は相変わらず下ばかり見て知らんぷりです。その高齢者は何度も私にお礼を言ってきましたが、当たり前の事なんです。



世の中どうなってんの!
怒りと共に悲しくなりました。メールをするなら、優先席から離れた場所でやってほしい。


確かに、社会が歪んできているし、教育の問題もあるから、一既に誰が悪いとは言えないかもしれません。だけど、誰かがやってても自分はやらない。世の中おかしいことがあっても大切な事は忘れない。



そういう社会にしていこうよ。立場の弱い方をみんなで支えてあげようよ。ルールを守ろうよ。そして、温かい世の中にしていこうよ。気付いた人から・・

世の中を変えるのは私達一人一人なのだから。
人ってやっぱり、心に思ったことを素直に伝えないと、理解し合えないものだと思います。



本音で語るのは勇気がいるし、相手によっては気分を害する場合もあるでしょう。


でも、恐れていては何も始まらない。話さないことで互いにわだかまりが生じ誤解してしまったり、話してみたら自分の思い違いだったなと思う場合も多いものです。



人間はそれほど、一人一人、捉え方、考え方に違いがあるのですよね。



だから、心の思いを伝えるということは、職場でも友人同士でも、地域でも家庭でも大切。人間がいるところ全ての場所において大切なことだと思います。



「声と云うのは心の思いを響かすなり」とは先人の言葉。
あの細木数子さんも、「思いを素直に伝えないということは、互いに溝ができ、不幸に陥るだけ」とも言ってました。



人間は動物と違い、言葉を話せる生き物。勇気さえあれば、心にある思いを伝えることの出来る生き物。



だから、いつか歳をとって話せなくなる日がくるまで、毎日、精一杯、声を使って自分の思いを伝えたい。


悪いことには見て見ぬふりは止め、感動したことには思いっきり喜びを伝え、誤解があれば素直に自分の気持ちを伝える。
そんな自分であり続けたいと思います。
学生時代の友人、社会人になってからの友人、職場の友人、地域の友人・・、友人も様々な時代の中で出来るものですが、仕事や子育て、又は親の介護など様々な事情があって、なかなか会えない状況であったとしても、せっかく出来た良い友人とは、やっぱり、いつまでも心がつながった間柄でいたいと思います。



よく、職場を変えるとこれまでの友人を忘れ、新たな職場に行くごとに今の職場の友人としか付き合わない方を目にします。



でも、それでは結局、本当の友人が出来ない。後になって、その場限りの付き合を自分がしてきてしまったんだとげ本人が気付き、淋しい生き方を送ってしまう方も見受けられます。



考え方は人それぞれですから色々な考えがあってよいと思いますが、私は「古い友人を大切に。そしてまた新たな友人も心を開いて作っていく」この信念で、すっとずっと歩んでいます。



勿論、途中には離れていく友人もいるでしょう。又は自分から離れていく場合もあるでしょう。又は、広く浅く付き合いたい方、小数であっても狭く濃い付き合いをされる方、様々ですよね。




「自分が変わると環境が変わる」とよく言われます。また「自分を知りたければ、今の自分の友人を見よ」という先人の言葉もあります。



人は努力や挑戦や、失敗や挫折をしながら成長するわけですから、自分自身の器が拡大していくと、自然に、同じ器の方と巡り合うように流れているのです。



同じ器とは、有名であるとか、肩書があるとか、地位が高いとか、そんなものでは同じなのでは全くありません。人としての器。境涯という事です。良くても悪くても同じ境涯だから必然的に巡り合うという事なのですね。




だから、今の現実の環境を変えたかったら、自分の心を一生懸命磨いて、まず自らを変える事が近道ですね。 自分を変えなかったら、居る場所、住む場所をどんなに変えても悩む事柄は同じになってしまいますから。


自分を成長させる為にも新たな友人作り、大事だと思います。希望や楽しみも更に更に膨らみますから。



そして、古い友人は本当に大切。長所も短所も性格も知ってくれているから、自分が間違ったときに指摘してくれる。一緒に喜び、一緒に怒り、一緒に泣き、一緒に乗り越えてくれる。それが本当の友人です。こういう友人は職場を変える度に友人を変えていたら、なかなか出来ません。私もをこれまで、こんな友人達がいたから今の自分がいます。そう思ったら古い友人を大切にしないと、人間失格だなと自分自身思いますが。
だから、私はこれまで少しでも縁をした人とは、友好を深める努力を重ねていきたい。それが幸せな人生だと信じて。
人間は間違えることも失敗することも沢山あると思います。


失敗や誤りは成功の元ですから、それを考えたら、人間は大いに失敗を経験し、挫折を味わうことも長い目で見たら必要な気がします。


失敗や誤りをすることよりも、それをしてしまった時に、どう対処するのか。
そこが大切で、そこに、その人の人間の器や誠実さが明白に見えてきてしまいます。


いさぎよい人なのか、心のこもった人なのか、浅はかな人なのか、その場だけのつくろいの人なのか、強い人なのか、正義の人なのか・・・。



だから、失敗することを恐れずに、どこまでも人間として人格を磨いていきたい。そして誠心誠意、失敗や誤りに対して非を認められる、強い強い人間になりたい。



「忍耐の人、誠実な人、優しい人とは、本当に強い人。」師の格言です。



誠実であることが、さらに器を拡大し、人脈を広げ、幸せになれることを信じて、今日からまた、誰が見ていようといなくとも、黙々と、人として誠実の一路を歩んでいきたいと思います。


それが全てだと実感する毎日です。

マスメディアは、社会の中で必要不可欠で、

情報を発信するという大きな役目があるものの、

反対に、人の人生を狂わしてしまうほどの大きな影響を及ぼすこともあります。


特に人権侵害については、慎重に正確に根拠に基づいて報道や記事にして頂きたいと

つくづく感じます。


これまでも、事実無根なのに、殺人事件の犯人と報道されたことから、ご本人だけでなく、

ご家族までの人生をも悲しいものにされてしまった方。


安全な野菜であるにも関わらず、誤った報道によって野菜が売れなくなり、収入減がなくなり

生活を狂わせてしまった方。


根も葉もない噂を記事にされ、それを信じてしまう人々から色眼鏡で見られ、長い長い間、

悪いレッテルを張られ続けてしまった方。


このような方はたくさんいらっしゃいます。


マスメディアにとってはその時だけの報道ですが、被害を受けた方の苦しみはずっと、

又は一生続く場合もあります。


憲法には、「言論の自由」が掲げられていますが、

決して、その意味を履き違えてはいけないのだと思います。



週刊誌も様々な記事が掲載されていますが、根拠もない記事によって裁判となり、

半年後、1年後、2年後に謝罪文が出ていることもよくありますよね。

でも、なかなか謝罪文を見て、あの記事は嘘だったんだ・・と思う人は少ないのが現状。

そして、損害賠償金も50万、100万、200万などの定額だから、その額なんか全然怖くない。

売れる記事を書き、売上額を考えたら、賠償金なんて全然怖くない。


外国では、損害賠償金額は何千万、何億というお金が支払われる程、人権侵害については

大きなものと捉えられているから、日本より非常に慎重に扱われます。

外国の友人が言ってました。

「日本は人権問題について非常に甘い。だからまた同じことを何度も繰り返すのだ」と。



その通りだと思います。


だから、私達が賢くなり、それが本当の情報なのかどうか、きちんと見極められるように

なること、とても大切だと思います。

そうでないと、振り回されてしまいますから。



そして、身近なところにおいても、周囲の噂や評価ばかりに左右されず、

自分の目で、目の前の人を正視眼でずっとずっと見ていきたいって、いつも思います。

自分の人生だから。