「子供に戻るとき」 | 「バックパッカーがH・Ⅰ・Sの役員になった奇跡」小さな会社の未来の創り方

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出来ない事はやらないことだとHIS創業者「澤田秀雄」氏から学んだ。ベンチャー魂と自ら経験した多くの失敗が成長の奇跡を創る。伝える事よりも伝わること!直ぐに実践したくなる、熱き魂に触れてください。

「子供に戻るとき」


 「何も無いけど、食べていきなさいよ。」と夕食を勧める母、昭和9年生まれだから、今年で74歳を迎えたばかりだ。誕生日が1月3日で、いつもお祝いが正月と重なり、子供の時は誕生日らしい事をした事が無いが。ここ10年間位はプレゼントを贈っている。

 知らない間に歳を重ねたものだ。実感として母が70歳を超えているイメージすら涌かなかった。・・・父が入院をしているときは、母は実家に一人になるので、出来る限り電話をしたり、仕事の途中に車で寄って5分でも顔を出していたのだが、母の年齢を気にする事は無かった。時間が有るときはお茶を飲み、少しは話をするのだが、夕食を食べて帰ることも無かった。母から「食べていきなさいよ。」・・・「そうだね」

久しぶりの母の手作りの夕食、何年ぶりだろう?いや、何十年ぶりかも知れない。・・・



 冷蔵庫から、ガス代の上の鍋の中から次々と”おかず”がテーブルの上に並ぶ。

僕は濃いお茶が苦手なので出涸らしの薄めのお茶で良いよと言うと、「クックック」と笑う。本当に変わっているわね。お茶の美味しさを味合えないと、また、「クックック」

と笑う。 僕が箸を進めるたびに、もっとゆっくり噛んで食べなさいと口を尖らせる。そして、「クックック」と笑う。こんなに母は笑っていただろうか。父が退院して家にいるのが嬉しいのもあるのだろう。でも、こんなに陽気に笑うことがあっただろうか。

 父に心配かけた以上にきつい思いをさせた母、内弁慶で気性の激しかった僕を受け留めていた母、・・・瞬間的に40年も前に戻った様である。隣に父が座っている。目の前で配膳の準備をする母、・・・あの時の母はこんなに陽気に笑っていただろうか。・・・戻る事は出来ない。・・・だから,これからもっといっぱい笑って貰おう。

「ご馳走様・・・美味しかったよ。」