「想い? 思い!」
学生時代に未来の人生をイメージする事が誰にでもあると思う。悲観的、楽観的、現実的に自分の進むべき道をイメージしたに違いないない。
僕の想いは常に楽観的だったような気がする。それはなぜかと言うと、現実では何も出来ない(勝手にそう思っていた時期があった)と思っていたので、悲観的に考えると前には進めないと思ったのと、楽観的に考える事に現実味がなく、責任がなく楽しいものだったのだ。それは、あまりにも弱い自分を支える方法だったのだ。
・・・30歳を過ぎたとき、僕はベンチャー企業の小さな支店の責任者になった。会社の将来も自分の将来も当時の社長が唱える「業界世界一」になるという夢に向かって、今の人生を精一杯、希望を持って生きていた。 その想いが現実の状況の苦しさを忘れる薬だったのだ。
17年前、シアトルのチャイナタウンでお互いの夢を思いエールを交換した。右がE君である。
僕の親友、E君が博多の老舗の寿司屋を辞め、アメリカはシアトルに移り住む事になった。 彼もまた、未来の自分の夢を成し得るために日本を出たのだ。 今、彼はシアトルのレイクサイドに自分の店を持ち、ケイタリング事業も行う繁盛店のオーナーになっている。 お互い20年弱の月日で夢を追い、想いを思いに変え突き進んできた。 夢が叶ったかどうかと言うよりは、僕たちにとって重要だったのは追いかける「夢」があったことだ。 その事が幸せだったと思う。
今でも未来へのイメージが広がる。そう、想いが、何々を~したい!~やりたい!~なっていたい!という思いが大事なのだ。 出来ない自分がいた。それはやらなかったからだ。 でも、やらない自分を変化させたのは想いだった。それが思いに変わったから僕の「夢」は近づいてきたのだと思う。
宝くじを買う人々は、売り場で買った瞬間に殆どの人がすぐに使い道をイメージする。宝くじを自分の力で当てる事が出来る人は誰もいないのにだ。それに比べて、自分の仕事や人生に関してはあまりポジティブに考える人は少ない。 自分の力で出来る事なのに。 さぁ、夢を叶えるイメージを持つ事だ、その想いを持とう、最初は現実逃避かもしれない。持ち続けると想いが思いに変わる。その時は人は夢を叶える為の力を持つものだ。