(駅伝で気付いたこと、その2。)
7~8年前のこと。
小さな組織のマネージャーだった僕は
システム開発のチームメンバーとして、
大学生ばかりを採用していました。
当時は今ほどプログラミングという技術が普及しておらず、
理系の大学生でも、プログラミングを勉強したことがある人も限られている状況で、
一部の学生さんが、非常に勤勉で優秀であるという肌感を持っていました。
そのアイディアが功を奏していました。
メンバーになってくれた方はみなさんとても優秀だったのですが、
(現在揃いも揃ってみなさんご活躍されています)
逆に当時の僕は
「この人たちには敵わないなぁ」
と、なんとも脱力したのでした。
IT技術もすごく勉強している。そもそも地頭がいい。
アイディア力があって、ユーモアのセンスがある。
ブログの内容も、知識教養を伺わせ、洞察も深い。
彼らの能力に圧倒されて、
自分の能力を磨くことが無駄なんじゃないかと思ってしまいました。
(情けないマネージャーでした)
ただ、今になって思うのは、
他の人へのそういう憧れというものが、
自分をその方向に少しずつ引き寄せられていったように思います。
その遠い背中を一回でも見せてもらえたら、
ほんの少しの希望を胸に、
少しでも追いつこう、と思うことができた気がします。
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箱根駅伝のコースには、以前は途中に踏切がありました。
ある選手がカーブを曲がりきると、
その先にある踏切を挟んではるか遠くに、前のランナーを見つけました。
「よし、追いつこう!」
と思った矢先、
その踏切に電車が差し掛かり、その選手は30秒ほど足留めに。
電車が通りすぎたときには、前のランナーの姿は見えなくなっていました。
ランナーにとって、前方に背中が見えるかどうかは、
心理的にとても大きいことのようで、
結局追いつくことができなかったそうです。
駅伝でのそれぞれの区間走者にとって大事なのは、
大きく引き離されることなく、次の走者にタスキを渡すことなんだそうです。
見えない背中を追うことは、難しいことなのでしょうか。
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追いかけたくなる背中を持つ人に巡り会うことが、ときにあります。
その出会い自体が、とても大きな恵みになるように思います。
追いかければ、そのうち追いつくことができる、でしょうから。