八王子駅から徒歩10分くらいの市街地に鎮座されている子安神社にお参りしました。
創建は天平宝字3年(757年)と古く、当時の天皇のお后さまの安産祈願のために建てられたそうです。
医療が発達している現代とは違って、昔は出産というと命懸けという面が大きく、安産は人々にとっては切なる願いだったものと思います。
安産をご利益としている神社は、もちろん全国にたくさんありますが、「子安」と名が付く神社は全国で26社しかなく、意外に少ないなという印象を受けます。
子安神社の場合、主祭神は木花開那姫命(このはなさくやひめのみこと)、あるいは奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)です。八王子の子安神社では両柱が祀られています。
木花開那姫命は天孫降臨した瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の妻なのですが、あまりにも簡単に妊娠したものですから、瓊瓊杵尊から自分の子どもではないのではないかと疑われてしまいます。そこで、木花開那姫命は身の潔白を証明しようと、なんと産屋に火を放って、そのなかで出産しようとします。そして、子どもたちは無事産まれたという神話から「安産」の神様とされています。
ちなみに、木花開那姫命は火に関係しているとして、火山を鎮める「浅間神社」の神様としても知られています。
一方、奇稲田姫命(あるいは櫛名田比売命)は八岐大蛇の生贄になる寸前に素戔嗚尊(すさのおのみこと)に助けられ、素戔嗚尊の妻となった神様です。日本最古の和歌である「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を」は、素戔嗚尊が妻のために新居をつくる嬉しさを表現したものです。
しかしながら、このエピソードからは「夫婦和合」の心象は湧いても、とりわけ「安産」というイメージはさほど浮かばないのは私だけでしょうか?
ここで、ちょっと疑問が湧いてきました。
記紀によると、木花開那姫命の父親は大山祇神(おおやまつみのかみ)です。瓊瓊杵尊の義理の父親ということになりますので、天孫降臨した九州に住んでいたものと思われます。
ところが、素戔嗚尊の妻である奇稲田姫命は大山祇神の孫に当たるのです。だとしたら、大山祇神は八岐大蛇退治が行われた出雲にも住んでいたことにもなります。
しかも、時系列的には、どう考えても八岐大蛇退治の方が天孫降臨よりも、かなり前に起こったものと思われるので、頭が非常に混乱してきました。
神話を読んでいると、時間的、空間的な常識を飛び越えることはよくあることですけど、もしかしたら、大山祇神も固有名詞ではなくて普通名詞なのかもしれません。単に「大きな山の神様」とも捉えることができるのではないでしょうか?あるいは、「大山祇」という家系なのかもしれません。
八王子の子安神社の境内には、なんと金比羅神社もあります。金比羅さんと言えば、航海安全の神様で知られていますが、なぜ内陸の八王子に祀られているのか不思議でした。
ホームページの由緒によると、江戸時代に字屋杢代安太郎という八王子の人が讃岐の金比羅宮を勧請し、自宅の蔵に祀っていたのですが、あまりにも霊験あらたかだったため、邸内に祀ることを畏れ、子安神社の境内に遷座したということらしいです。つまり、持て余してしまったということになりますね。
三種の神器のひとつである八咫鏡のパワーがあり過ぎるために、それまで保管されていた宮中から外に出して、新しく建てた伊勢神宮に祀ったという経緯を思い出してしまいました。
新春ということもあって、子安神社には多くの参拝者で賑わっていました。
政府による異次元の少子化対策というのが取り沙汰されていますが、将来の不安がなく「子どもを安心して産める」という世の中を目指すことが先決ではないでしょうか?
子安神社はそういう意味で一翼を担うお社であると思います。