鹿島神宮(茨城県) | yampoo 御朱印集めの旅 

yampoo 御朱印集めの旅 

御朱印を集める旅を始めました。

「Yampoo御朱印集めの旅」は昨年の1月から始まりました。最初に訪れた神社は鹿島神宮と香取神宮だったのですが、これは特に意図したものではなく、関東を代表する古社でありながら、まだ一度もお参りしたことがないからという単純な理由でした。

しかしながら、全国の一之宮を巡るうちに日本の古代歴史や神話に興味を持つようになり、知識もそれなりに増えてくると、改めてこの両社の存在がいかに大きいかが分かってきました。

ということで、初心に戻り再度両社を訪れようと思いました。

 

東北大学の田中英道先生の著書によると、人類はアフリカで誕生し、その後世界各地に広がっていくわけですが、そのなかで多くの集団がオリエント、つまり東の方角を目指します。古代の人々は世界は平坦だと思っていて、太陽が昇る東に神聖なものを感じていたようです。そして、行き着いた先が日本で、日本のなかでも現在の茨城や千葉といった東関東が世界の最東端だと認識されました。

 

縄文時代の前期は今よりも随分温暖な気候で、西日本よりも東日本の方が住みやすかったようです。

温暖化のために海岸線が現在よりも、かなり内陸に入り込んでいて、東関東にも香取海という内海が広がっていました。霞ヶ浦や印旛沼はその名残だそうです。

内海は安全に食料を確保することができるために、香取海周辺はいわばパラダイスだったと思います。そして、田中英道先生によると、ここが日高見国(高天原)ではないかということです。

太古の香取海は、現在の銚子付近で外海と繋がり、まずは細く始まるのですが、ちょうど鹿島(香島)神宮と香取神宮の辺りから大きく広がります。つまり、この両社は地理上、香取海の交通の要衝でもあり、防衛上の要でもあったと言えます。

鹿島神宮の武甕槌大神(たけみかつちのおおかみ)と香取神宮の経津主大神(ふつぬしのおおかみ)は武神・軍神で、日本神話のなかでは最強のタッグです。

 

時代が下ると、大陸との関係やらで西日本の重要性が増してきます。日髙見国は西日本を中心に展開していた出雲国を支配下に置こうと画策します。そして最終的に鹿島・香取の2柱の神様が派遣されて「国譲り」は成功するわけです。

 

日本史の常識としては、京のある関西・近畿が先進地域で、関東から北は蝦夷と呼ばれ、後進地域のイメージが大きいのですが、日髙見国(高天原)は東関東に存在したという記憶はいつから失われたのでしょうか?

 

鹿島神宮は令和の大改修中で、昨年訪れたときは奥宮は改修工事中でしたが、それは終了していました。一方、拝殿と幣殿が現在は工事中です。

相変わらず太古の森を彷彿とさせる境内のなかを歩いていくと、武道の神様だけあって身が引き締まる思いがしました。