熊本弁で、男の子に対する一番のほめ言葉は「武者んよか」です。「格好良い」という意味ですけど、単に「イケメン」というだけではなく、「強さ」も感じさせなければなりません。
肥後の国はあちこちに豪族が割拠して、昔から「難治の国」と呼ばれていました。中央から派遣された領主になかなか従わないのです。しかし、戦国時代の末期に加藤清正が肥後に入部したとき、肥後の人たちは初めて見た加藤清正の「武者ぶり」の良さに感服して、ひれ伏したと確か司馬遼太郎の本に書いてありました。
この加藤清正が丹精込めて造ったのが、日本三大名城のひとつで鉄壁な守りを誇る熊本城です。この熊本城が真価を発揮したのは、なんと築城から約270年後に起きた西南戦争のときです。当時、明治政府の九州鎮台が熊本城に置かれ、薩摩軍はそれをひねり潰そうと猛攻撃しますが、結局、熊本城は最後まで持ちこたえます。このとき、西郷隆盛が「まるで、加藤清正と戦っているようだ」と、(現代風に言えば)ツイートしたと言われています。
加藤神社は熊本城内にありますが、神社の近くの石垣は熊本地震によって壊れたままで、完全修復にはまだまだ時間がかなりかかりそうな状況です。ただ、創建当時の一番古い石垣は、あの大きな地震にも耐えたということですから、すごい技術者集団が戦国時代にはいたということになります。
熊本市民にとっては熊本城は原風景であり、心のよりどころでもあります。それを造った加藤清正は今なお地元では絶大な人気があります。