「つるのや」営業終了のお知らせ。 | べっちのブログ→ベログ

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変形ギターとネクタイを握り締め生きる意味を考える。

どうも。

べっちです。

 

ちょっと寂しいお知らせです。

 

福島にある実家「つるのや」が今年の3月で営業を終了するこになりました。

 

僕も弟も、後を継げる状態ではないので、手放すこととになり、予定では次のオーナーが3月以降、建物を取り壊すことになるそうです。

 

何とも寂しい話ですが、後継者がいない上に、この規模のお店を維持する親の体力も限界という状況で、このような判断となりました。

 

なので2/23に行われる「神々のパイセインプレミアム in 福島」が、つるのやで行われる最後のイベントになります。

 

 

 

もう、つるのやでイベントをすることも、飲み食いすることもできません。

 

最後の機会です。

残り数席しかありませんがまだ入れます。

 

僕の思い出が沢山詰まった「つるのや」に是非来てください!

 

僕は、この日泣くかもしれませんw

 

メール待ってます。

 

 

 

 

さて、ここからは僕が書きたいから書く

 

「思い出話」です。

 

 

長文ですので、暇なら読んでください。

 

 

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1980年3月。

 

僕が3歳の時、両親が「つるのや」の営業を始めました。

 

実は僕も初めて見たのですが、これが当時の新聞だそうです。

 

 

当時の父は28歳。

 

どういう状況で売りに出ていたのかは分かりませんが、銀行からお金を借り「鶴の家別館」を買い取り、割烹料亭に改装し営業を開始したそうです。

 

 

旅館から料亭への改装中の「つるのや」を僕はとてもよく覚えています。

 

タイル張りのお風呂の壁には

 

「熱湯が出ますご注意ください!」

 

というようなメッセージが、筆で書いたような字体で書いてある風呂で、そのお風呂に家族で入った思い出を、3歳ながら強烈に覚えています。

 

3歳の記憶は死ぬまで残りますね。

 

 

 

何事もスタートダッシュというのは重要なもので、オープンから数年間、両親は店に泊まり込みで仕事をするようになり、3歳と0歳の育児は無理だということで、僕と弟は、父親の実家で祖父母と一緒に生活をするようになりました。

 

大正生まれの婆ちゃんは本当に厳しい人で、超スパルタな「躾け」を受けました。

まぁ今となってはいい思い出ですけどね。

 

これが当時の写真。

 

 

写真は穏やかですね。

でも厳しかったんですよ。

 

 

そんな厳しい婆ちゃんから唯一開放される日がありました。

 

 

それは「つるのや」の定休日「日曜日」

 

この日が、週に1度だけ親と会える日でした。

 

 

土曜の夜になると、当時働いていた板前さん(きんちゃん)が、実家に僕と弟を迎えにきてくれて、週に1度だけお店にお泊まりできるんです。

 

 

これがまた嬉しくてね。

 

 

その思い出が染み付いてるのか、今でも店の匂いとか、親と一緒に寝た部屋を見たりすると、なんともノスタルジーな気持ちになるです。

 

 

これも本当にいい思い出です。

 

 

 

その後も、週に1度しか両親に会えないという生活は続き、僕が中学に入るまでそんな生活でした。

 

 

そんな中学生の頃から、ちょいちょいお店を手伝うようになり、高校に入る頃には、つるのやで、下足番と皿洗いのバイトをするようになります。

 

 

1992年ぐらいかなぁ。

今思えば当時の「つるのや」は、とても繁盛していた記憶があります。

 

ホステスさんが毎日行き来し、店の前は、連日タクシーが列をなしていました。

 

今の福島では、ありえない光景です。

 

本当にいい時代だったのだと思います。

 

 

10代の頃に、そんな華やかな夜の世界をガチで見せてくれたこの環境は本当に凄かったと思っています。

 

そんな高校1年生バイト時代、厨房で母親と撮った写真がこちらです。

 

 

 

本当にいい思い出です。

 

次行った時は、同じ構図で写真を撮る予定です。

期待しててください。

 

 

 

 

そして、高校卒業後、僕は一瞬就職するものの、脱毛症の治療のために退職し、つるのやで仕事をしながら治療に専念することになります。

 

その時は、親父と一緒にカウンターでお寿司を握る仕事をしてました。

 

僕がイカの塩辛や、北寄貝の剥き方を覚えたのはこの時です。

 

父親とカウンターに立つ貴重な写真がこちらです。

 

 

 

若い。

二十歳ぐらいじゃないかな。。

眉毛も抜け落ちた時期です。

 

毎週病院に行き治療をしていました。

 

本当にいい思い出です。

 

 

僕が福島に住んでいて「つるのや」と深く関わったのはここまでになります。

 

 

 

 

突然ですが、僕は長男です。

 

店を継がなくていいのかと、考えたこともありました。

 

 

 

しかし、オヤジが一言こう言ったんです。

 

 

 

つるのやは、俺が勝手に買った店だ。継いで欲しいとは思っていない。

継ぎたきゃ継げ、継ぎたくなきゃ好きなことやれ。

 

 

 

 

理由はそれだけではないけど、

 

自分は、一体何がしたいのか?

これを確かめたくて、僕は21歳の時に、ギターを持って実家を出ました。

 

 

その後、大好きな実家に、友達や、バンドの仲間、更には、THE冠のイベントでお客様までも、ご招待することになろうとは全く思っていなかったけど、みんな喜んでくれて僕も本当に嬉しかったです。

 

 

そんなお店が無くなってしまうのは本当に寂しい。。。

 

本当に寂しい。

 

 

 

今の僕にもっとお金があれば、僕が買い取ったのに!

と思ったけど、そんなお金はないので無理なんですね。

 

 

寂しいなぁー。

 

という気持ちを書きたくブログに書きました。

 

 

なので、3月まで行けるだけ行きたいと思ってます。

 

 

 

 

震災をきっかけに実家を取り壊し、福島の家は「つるのや」だけという状態でしたが、いよいよ「つるのや」も無くなります。

 

更に、3月以降の両親は、福島を離れるそうです。

 

 

「ふるさと」に家が無くなことが、こんなに寂しいもんなんだと・・・

 

無くなってから気づくことが沢山あるのは知っていたけど、今回のこれはなかなかヘビーですね。

 

まぁ、仕方ないけど。

 



福島の同級生、先輩の方々。

 

今後は福島へ帰る機会が減りそうです。本当に。

 

 

でも福島で育ったことは一生忘れないし、僕の「ふるさと」は唯一つ。

 

福島だけです。

 

若い頃は、もう二度と帰らないと思っていたのに、今となっては恋しくてしかたないです。

 

 

「ふるさと」というのはそういうものなのでしょうか。

 

 

いつか自由に移住先を選べるような時がきたら、福島に戻りたいと思うほど恋しい場所です。

 

 

 

本当にありがとう。

 

福島。

 

本当にありがとう。

 

つるのや。

 

 

行く機会は減ると思うけど、僕の「ふるさと」福島。

 

愛してます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけ

 

 

 

 

↓週に一度だけ親と会える、日曜日にお店に来た僕と弟(1980年ぐらい)

 

 

 

 

 

↓僕の息子と姪(2016年)

 

 

 

 

長文、読んでくれてありがとう。