Coffee Windsさんの記事
を拝見して思い出した事を書いてみます。
まだあどけなく汚れを知らなかった少年時代(笑)
農家👩🌾の友達の家に遊びに行くと必ずと言っていいほど、親御さんが何らかの作物を振る舞ってくれました。ある意味それが楽しみで遊びに行っていたかも 笑
春夏秋冬、季節の野菜や果物🍊
例えば、これからの季節なら茹でたトウモロコシ🌽とか西瓜🍉、秋には蒸したさつまいも🍠や焼き栗🌰とか。
山羊🐐を飼っていて、その乳(但し必ず加熱)を飲ませてもらった時には濃厚で美味しかったなぁ。薄めていないので色が白というよりまさにクリーム色でした。
ある夏☀️
トマト🍅畑で友達と遊んでいた時のこと。彼がおもむろにトマト🍅をもぎ取って食べ、私にもひとつくれました。これが本当に甘くて美味しかったのです。それまで八百屋で買って家庭で食べていたトマトとは全然違います。
ただ、子供心にも商品になるものを生産者の息子だからといって勝手に獲っていいの?そう思いました。母屋に戻って親御さんに友達は、トマト🍅ふたつ食べたよ、と自己申告です。お父さん「ああ、わかった。いいよ。」おおらかです。いったい何個までならOKだったのでしょうかと、今ふと考えます(笑)
私も勿論、家に帰ってからごちそうになった事は親に報告しました。それでこちらからも何かの機会にお裾分けしていたと思います。持ちつ持たれつ、ギブ&テイク。それがコミュニティというもの。
ずっと後に成人してから親から聞いた話では、あれはケチャップとかにする加工用のトマト🍅だったんだそうです。品種は分かりません。特に名もなかったのかも知れませんね。単に加工用とする為に赤く熟すまで出荷時期を遅らせていただけなのかも知れません。ヘタをすると腐りかけて通常の農協ルートにはのらないでしょう。今でいうアウトレットだったのでしょうか。
彼は跡🧑🌾を継がず彼の家は農家を廃業してしまいました。その友達も今は本州にはいませんし、全く音信不通になったので知るすべもありません。
1980年代半ばに完熟トマト「桃太郎」なんてのが開発されましたが、まだそんなのはなかった1960年代末の話です。
真っ赤な、真っ赤な女の子トマト🍅
あのトマト🍅もう一度食べてみたいな。
あれは何というトマトだったのだろう?
母さん、あのトマトどうしたでしょうね?カズちゃん家の畑でもぎって食べた、あのみずみずしいトマト🍅ですよ。
(西条八十風に😌)