大久保の映山紅(きりしま) | きるろいの快刀乱麻を断つ

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温故知新 

主に近世日本と落語ネタを綴っていくことを目標にして開設。最近は食いもん系が多いです。2024年はちょっと慎重に動きます(`_´)ゞ

もう先月のことになりますが、清水公園に行った時、かなり背の高いツツジが散見されました。


今日は新宿に用があるついでにお隣の新大久保駅で下車。

かつては躑躅の栽培が盛んでした。

僅かに躑躅が咲いていました。


明治天皇歌碑

「まがねしく 道のひらけて つつじ見に ゆく人おほし 大久保の里」

※まがねしく は鉄道線路が敷かれて という意味らしいです。


江戸時代、ここ皆中稲荷神社は

(みな)(あた)る 

事を祈念して当時この地を拝領していた百人組鉄砲隊の鎮守でした。

鉄炮組同心(町方のそれではない)は大縄地と呼ばれた組屋敷に住まわされましたが、武士版長屋のようなもので、階級は戦国なら足軽に毛の生えたようなもの。騎兵である与力と違って軍制上は歩兵の御家人です。

区のHPでは鉄砲組同心たちの趣味で躑躅を栽培したのが始まりとあります。かくして新宿区大久保一帯は躑躅🌺の名所でした。しかし実は貧乏下級武士の内職だったと私は思ってます。金魚飼育とか風鈴の作成とか生計の足しにしていた記録があります。


『江戸名所図絵』の大久保にも躑躅が描かれています。

大久保の映山紅(きりしま)は弥生の末を盛りとす。長丈余のもの数株(あまた)ありて、その紅艶を愛するの輩(ともがら)群遊す。


現在では一般的な鑑賞用には人の高さより高いのはあまりないでしょうが、江戸時代は自然樹形で楽しむ、その方が本来の勢いが現れると考えられていたようです。


というのも、この図絵の解説にあるように高さは

「長丈余のもの数株(あまた)ありて、その紅艶を愛するの輩(ともがら)群遊す」

高さが「長(たけ)丈余」とあります。一丈は約3メートルなので、それ以上。人の身長よりもずっと高いのもあったということですね。



ちなみに弥生の末が盛りとありますが、旧暦ですので新暦にするとまさに今でしょ😉

【参 考】



ソメイヨシノで有名な染井村も桜だけでなく躑躅などの造園も盛んだったようです。