法事 | きるろいの快刀乱麻を断つ

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温故知新 

主に近世日本と落語ネタを綴っていくことを目標にして開設。最近は食いもん系が多いです。2024年はちょっと慎重に動きます(`_´)ゞ

父の通夜と葬儀が終わった。


来月には母の一周忌だキョロキョロ


10月末に父や兄とその日程について打ち合わせをしたばかりだというのに・・・


年齢から手術が困難なのも理解できる。超高齢だからいつでも覚悟は出来ていた。しかし母とは違い長年の闘病生活などと縁のない人だったから、ただただ意外であった。


食事中たまに誤嚥を起こしていたから、誤嚥性肺炎を心配していたが、まさか腸閉塞とは。歯は丈夫でなかったので、よく咀嚼して食べるのが億劫だったのだろうか。


晩年父と私の関係は必ずしも良好ではなかった。特に優秀な兄(早大卒)と比べ、私は一応大学を出たものの全然出世しない、身も固めないものだから期待を裏切ってきたみたいだ。


口癖は「大学まで出してやったのに」

そもそも受験の時に文学部を受けることに大反対された。一応経済とかも受験したが、半ば手抜きで結局は私の希望学部しか受からなかったので諦めたようだ。しかし私の計略(笑)は薄々勘づいていたのだろう。


申し訳ないが私はどうしても語学系の勉強がしたかった。ただただ言語についていろいろ知ることに非常な喜びを感じていた。


「男のくせに文学部なんて出たって食っていけない。企業では使いもんにならない。せいぜい学校の先生くらいしか職が無いだろ」


事実そうなった。

会社には勤めたが、大企業ではない。

語学スクールというやつだ。


それでも予備校や専門学校などの教育産業に不況はないと言われた1980年代、初任給が大企業なみだったので父は満足そうだった。まさかその後バブル崩壊を経て、超少子化で予備校などが潰れる時代になるとは想像もつかなかった。


父親と男子は特別な関係という人がいる。

子は父を乗り越えるべきものらしい。

父は二十歳で結婚し、二十四の時に家を建てた。生活力が私などとは比べものにならない。


趣味はゴルフくらいで文化や芸術には一切関心の無い人だった。芸能などもっての外。母は歌舞伎好きだったが、あんなものにお金をかけて観劇に行くなど勿体ないとよく牽制されていた。そういう人だったから、私の落語好きは死ぬまで父には内緒だった(笑)。


でも父よ、一年もしないで母のところへ行ったのだから、ふたり仲良く演劇鑑賞でもしてくれよ。

改めて合掌🙏