が、やはり、終えることは出来なかった。細かい傷を治しながらなのでかなり時間は、かかる。手際よくすることも、素人にはまだ覚えながらと、言うところでしょうか。

しかし、自分の中で心の掃除だと、念じながらなのでやたら、楽しい。


本来仏教って人々のためにあるのでしょうが、立場が、変わってしまっている気がする。両親の葬儀が続いたため、高利貸しから借りてしまい、借金に負われて散々な生活をせざるを得ない人を複数、知っている。


日本は神の国。ならばもっと神道を見直してみるべきでしょう。東北遠征に出るたびに思うのは、高速道のそばに広がる風景の仲で、ポツンと小さな墓地があるのは、決して一箇所ではない。

時代劇にあるように昔は、貧しいものはお寺さんに相手にしてもらえたのか?という疑問は尽きない。人の迷惑でないところに、石を置くとか、簡単な墓標を立てるのが精一杯だったのでしょう。


雷が鳴れば、天が怒っているのかと、何もわからぬまま、ただひたすら祈っていたのかもしれない。

日本人は信仰心が薄いと、よく言われるが、それはそれで、いいのかもしれない。

打席で集中したいときに自分の中の神にひたすら、思いを寄せる。そんなルーティーンであっても許せる気がする。

掃除できる人と、掃除できない人とでは、もちろん掃除できる人のほうが、目標をしっかり持てて、前向きに生きている。行き当たりばったりでないと、言うことです。

そんな自論を持っているので、今日は、一日掃除と決めました。ガスコンロ周りは前部ベーキングパウダーの液体に浸し、家具を外に出し、窓の溝は、歯ブラシで掃除、床は最後にワックス掛け。クロスの壁はクリーナーをつけたウエスで吹き上げ・・・・。


完璧にやってみたい。そう、昨日の気分転換が以下に心地よかったか、ならば、家も心地よくしてあげよう。そう思いました。


先週行った、ペンションの上坂さんの柔和な、すべてを悟りきったようなあの笑顔を見て帰ってから、とても自分の中で安心感が育ち、何が起きても、これも定めなのだと、悪態をつくこともなく、受け入れられる。そんな穏やかな心境に、今はなれています。


ぴかぴかに磨きあがった室内を想像するだけで、今から、わくわくしています。

明日のブログは、そんなぴかぴかの室内から、書き込んでいます。


仏教のお釈迦様の弟子の中にマハーパンタカとチューラパンタカという兄弟がいるのですが、弟のチューラのほうは出家して3年たっても経文の一つも覚えられず、兄からもう教団を出て行けとある日、言われます。そこをたまたま見かけた十大弟子のアーナンダが「私が引き取ろう。」そういって引き取り、お釈迦様に相談します。すると、お釈迦様は「チューラは忘れるほうの第一人者だなと、褒めます。」そしてその日から箒のみを与えただひたすら、境内を掃き清めることを言いつけます。「塵を払わん。垢を除館。」それだけを唱えて掃きなさいと。

やがて月日がたち、チューラは塵とは、心の塵なり、垢とは、心の垢なり。と気付き、小乗経の悟りを開いたそうです。

この逸話は、アスリートにとっても基本となる練習をしっかりせよ。そう語っているようです。

今日は私も床を拭くその手を修行と、みなして、無心で取り組んでみようと、思います。



昨日の予報では、朝方冷え込むので注意との事、長袖で散歩に出かけました。

歩き出すととにかく、気持ちいい。この冷気が新鮮なのです。

昨日の雨のせいもありますが、この体に突き刺すような冷気が一段と新鮮で、何のルーティーンをしないでも、ここ数日の小さなストレスから、気分をリフレッシュさせてくれて、歩き出す一歩一歩が、とても嬉しいのです。


きっと大自然が「元気を出せ。」と、冷気を私にプレゼントしてくれたのだ。そう思いながら歩いてきました。パソコンに向かう私の動作もすべて、その感激を打ち込もうと、どこかきびきびしているようです。

今月末には、700キロを超えそうな遠征が、入りました。往復1400キロ。

でも今の新鮮な気持ちなら、心から楽しんで行動することが出来ます。

今日は改めて大地の新鮮な空気を吸えて、感謝いたしました。