が、やはり、終えることは出来なかった。細かい傷を治しながらなのでかなり時間は、かかる。手際よくすることも、素人にはまだ覚えながらと、言うところでしょうか。
しかし、自分の中で心の掃除だと、念じながらなのでやたら、楽しい。
本来仏教って人々のためにあるのでしょうが、立場が、変わってしまっている気がする。両親の葬儀が続いたため、高利貸しから借りてしまい、借金に負われて散々な生活をせざるを得ない人を複数、知っている。
日本は神の国。ならばもっと神道を見直してみるべきでしょう。東北遠征に出るたびに思うのは、高速道のそばに広がる風景の仲で、ポツンと小さな墓地があるのは、決して一箇所ではない。
時代劇にあるように昔は、貧しいものはお寺さんに相手にしてもらえたのか?という疑問は尽きない。人の迷惑でないところに、石を置くとか、簡単な墓標を立てるのが精一杯だったのでしょう。
雷が鳴れば、天が怒っているのかと、何もわからぬまま、ただひたすら祈っていたのかもしれない。
日本人は信仰心が薄いと、よく言われるが、それはそれで、いいのかもしれない。
打席で集中したいときに自分の中の神にひたすら、思いを寄せる。そんなルーティーンであっても許せる気がする。