ご無沙汰です、、、
ご無沙汰です、、、
べつのブログには色々書いているのですが、こっちはご無沙汰です。
アクセス解析なるものをさっき見てみたのだけど、それでも誰かが尋ねてきてくれているようで、、、
誰が、どんな経路で僕のブログを読んでくれてるのか、気になりますが、ありがとうございます。
もし機会があればメッセージでも送ってください。
僕は最近は、建築で中国のマスタープランコンペをやったり、
三重県の現場(観光センターのようなもの)に毎週出かけて行ったりして、元気にやってます。
ニューヨークから帰ってきて、早一年半です。
そろそろ海外熱がおさまらなくなってきました、、、
建築雑誌5月号
今日校正原稿を提出したばかり。
ニューヨークでの学生生活と、日本帰国後の思いをひと齧りほど綴りました。
去年
こっちのブログはまったく更新してませんが、、、
2009年から、改めて別の場所でブログを再開しようと思ってます。
建築と文学と音楽を巡る、濃いブログにするよ~。
2008年は移動の年でした。
2月一杯で仕事を終え、長らく勤めたニューヨークのオフィスを後にし、
その後総決算のアメリカ国内旅行をして、
3月下旬に日本へ帰国。
その後半年ほど、ゆっくりと日本各地を旅行しつつ、
これからのことについてあれこれと考えを巡らせた。
途中、32歳の誕生日を迎える。
その後、秋になってもっとも尊敬する建築家の方の門を叩く。
なんとか受け入れてもらい、仕事開始。
そして年末には、とある専門誌にグローバリズムに関する僕の論文を掲載させて頂いた。
2009年はもっと人の繋がりが増えればいいなあ~。
美智子皇后と雅子妃
<美智子皇后と雅子妃>福田和也・著 文春新書720円
福田和也が書かなければこのテーマの本を
今読むことはなかっただろうけど、これは心を揺さぶられた。
とても引き込まれて、今日の夕方から夜にかけて一気に読んだよ。
<華麗なる一族>という本・ドラマがあったけども、
スケールで言えば遥かにそれを上回る現実が
ここには現在進行形の形で書かれている。
福田和也は別に皇室御用達の書き手ではないから、
かなり苦言的なことも書いている。
皇室の現在を通して描かれる、
父―子、母―子、嫁―姑の関係、
それを取り巻く家族、
そして今の時代に結婚して子供を産むということの意味。
決して皇族を特別な人間として扱うのではなく、
傷つき、悩み、もがき苦しむ一個の人間として浮かび上がらせる。
印象的なのは、皇族の人たちは、押し並べて言語能力が非常に高いということ。
失言や品位を欠くことが決して許されない日常を生き抜いてきた末に、
信じられない程の研ぎ澄まされた言葉遣いを獲得するのだろう。
例えば本書で引用されている、
美智子皇后が長女である紀宮様に語って聞かせた
言葉の美しさは涙を誘う。
紀宮様は母=皇后の苦悩を傍らでずっと見てきた。
民間初の皇太子妃として皇室に嫁いだ<美智子皇后の内奥には、
誰とも分かつことのできない、天皇陛下とさえ分け合えない、
悲しみと痛みがある、と紀宮様は語る>のだけれども、
その母=皇后が、ある時こう言ったことが忘れられないという。
「人は一人一人自分の人生を生きているので、他人がそれを充分に理解したり、手助けしたりできない部分を芯に持って生活していると思う。・・・・・そうした部分に立ち入るというのではなくて、そうやって皆が生きているのだという、そういう事実をいつも心にとめて人にお会いするようにしています。誰もが弱い自分というものを恥ずかしく思いながら、それでも絶望しないで生きている。そうした姿をお互いに認め合いながら、懐かしみ合い、励まし合っていくことができれば、、、、」
この本を是非、今を戦って生きる、
日本人の女性に読んでもらいたいなあと思う。
別にすぐに役に立つようなヒントはないかもしれない。
でも感ずる何かはあると思う。
マティスと建築
本当に身体全体で感じるように反応する他ないのだとつくづく思う。
例えばNYのMOMAにあるマティスの「RED STUDIO」の赤、
もしくは「DANCE」の青なんて、
もう体当たりで感じる他ないくらいの体験だから。
マティスは生涯で一度だけ、建築に携わっている。
是非、行ってみたい、
南フランスのヴァンスにあるロザリオ礼拝堂。
マティスはこの礼拝堂の設計から内部の壁画まで関わっている。
壁と天井と床が一時的に繋ぎとめられたかのような危うい作りで、
内部は白い陶板の壁にキリストとマリアを描く黒い線描があるのみ。
そこに色彩はない。
色彩はもう片側の壁一面にマティスが配したステンドグラスから降ってくる。
モノクロームの線描は、
常にこのステンドグラスからやってくる、
青と黄の光に晒されているのだけど、
これが凄い。
青と黄の色彩が揺らめきたよう、
その光の横溢の中で、マリアに抱かれたキリストを見る、、、
俺が畏怖する美術家の岡崎乾二郎はこの絵を「聖母被昇天」と解釈する。
聖母被昇天、それは天使に囲まれたマリアがその生を受けた肉体のまま天に迎えられていく、
誕生と死という相反するものが一致する瞬間。
きっとこの光に満ちた空間に身を浸したら、
天使に抱かれたような気分になるんじゃないかと思う。
癒しなんてものじゃなく。
fxxk your mask
花粉症の季節だけれども、、、
欧米に住んだことがある人なら誰でもわかるだろうけど、
こっちにはマスクをする習慣がまったくないよね。
日本にいた十代の頃はマスクに対して 全然違和感なかったのに、
随分長いこと地球のこちら側に住んでると、
マスクをしてる人達が沢山行き交うランドスケープが
とてもとても変に見える。
みんな伝染病患者か、銀行強盗に見えてくる、、、(笑)
あれほどのブサイクアイテムってないよなー。
どんなかわいい子も台無しになっちゃう。
自分は全然アメリカナイズされてないつもりだけど、
これだけは耐えられない。
日本に帰っても絶対マスクなんてするものか!
エチケットなんて知ったことか!
大体、マスクって本当に効果あるの?
例えば、メガネは昔に比べてどんどん進化して、
今はいくらでもオシャレアイテムとして通用するけど、
マスクって、デザイン的には全然かわってないよね。
プラダでもドルガバでもどこでもいいけど、
セクシーなマスク、誰かデザインしてくれないかなあー。
俺が考えてるのは、口と鼻だけを覆おうとするから変なんで、
「マスク」と言うくらいなら、もっと顔全体を覆ってみたら どうか。
みんな顔面マスクして歩いてたら、毎日ハロウィンみたいで、
街がもっと楽しくなるはず、、、
あ、やっぱ俺はアメリカナイズされてるのかなあ、、、
あさって締め切り。
今年のNYの冬はとても暖かいなあ。
ここのところちょっと寒かったけど、また春みたいになってきたし、
もうこのまま春になるんだろうね。
去年、6年ぶりに日本に帰ってから、
もうあと少しで一年になる。
この締め切りが終わったら、
また帰国のことを考え始めよう。
あなたの街の日の出は何時ですか?
冬至を過ぎてから、確実に日が長くなってきている。
一番日が短いころは四時半くらいが日の入りだったけど、
今日のNYの日の入りは4時54分
(ちなみに日の出は7時17分)。
ある人が日記で、
日付なんていうのは社会と折り合っていくための
手続きみたいなものに過ぎなくって、それよりも自分にとっては、
寒さの変化とか、花粉が飛んできたとか、
雨が多くなってきたとかの感覚のほうが、
一年間のうちのどのあたりに自分がいるのかをリアルに教えてくれる、
でもそれは季節感なんていう言葉では言い表せないって書いてあったけど、
本当その通りだなあと思ったし、
その感覚のほうがずっと日常を豊かに生きられると思う。
その感覚があれば、
雨は不快ではないだろうし、曇りは憂鬱ではなくなるかもしれない。
そして、その豊かさは確かに、季節感なんていう、
つまらない言葉を使った途端に、
どこかに奪われてしまうのだろう。
アメリカには第二章というものは存在しない。
ってスコット・フィッツジェラルドの言葉らしいけど、昨日村上春樹の音楽論「意味がなければスイングはない」を読んでいて見つけた。最近の村上春樹はあんまり楽しめないでいたけど、この本はいいね。でも村上春樹にかかると、どんな人の人生でも村上春樹の小説の登場人物のエピソードのような気がしてきてしまう。で、上の言葉はビーチボーイズのブライアン・ウイルソンについて書かれたエッセイの中で出てきて、アメリカンドリームって、反面には、一度それから逸れたら二度とチャンスは巡ってこないっていう現実について言っているんだと思うけど(春樹はそこまで書いてないけど)、 それにもかかわらず彼は見事に全身に傷を負いながらも奇跡的に復活したんだという結びにつながる。



