幻覚? ~私の幼少期~ | 半径一メートルの幸せ作り

私の幼少期の話は、

誰もが聞きたくない話になるが、

 

本人はあまり重視していない笑

 

 

この世での苦しみはひとそれぞれですが、

私の人生では、「飢え」だと体験しているので、

 

 

「飢え」の苦しみは、9歳から11歳くらいの一年半の間で、

 

 

それまでは児童保護施設とはいえ、

幸せで不自由なく過ごしていました。

 

 

小学3年生まで住んでいた児童保護施設は、

現在はもうないけれど、

 

 

40代の頃、昔を懐かしみ、

挨拶に行ったら、園長先生も、

おじいさん、おばあさんになっていた。

 

児童保護施設の門の前に置かれていた、

私の名付け親で、拾ってくれた人。

 

 

おじいちゃんおばあちゃん「変わらないね~あんた。」

 

 

覚えていてくれたイヒ

 

 

当時の私の子供の頃を話してくれて、

私も記憶力が良いので懐かしみ覚えていたが、

”合わない”ことがあった。

 

 

赤い部屋

 

 

家の間取も合っていて、

部屋の数、トイレ浴室、食堂、短い階段、玄関、下駄箱、

位置が合っているのに、

 

 

おじいちゃんおばあちゃん「そこには部屋は無いよ」

 

 

”赤い部屋”が無いのです。

 

 

それと、もうひとつ、

 

 

”私の世話をしていた人物”の1人がいない。こと。

 

 

どういうことかというと、

 

 

私は二人の保母さんが世話係だと思っていて、

今でも顔をどちらも覚えている。

 

 

産まれた時からいるのだから、

覚えているはず。

 

 

その保母さんに挨拶を、と思い、

「現在はどちらに?」

 

と聞くが、

1人の保母さんは教えてもらえたが、

もう一人の保母さんは・・

 

 

「そんな人物はいない」

 

 

という。

 

 

「赤い部屋と一人の女性」が

初めから「無い」ということを聞かされた時、

信じられなかったが、事実であるのだという。

 

 

 

「どの子よりも変わっていて、夜になると夜泣きをし、

恐い怖いと夢を見ていた」

 

と聞かされる。

 

 

どの子よりも変わっているのは・・

 

 

こんな感じ?

もちろん一番変な奴が私笑

 

 

 

存在しないという保母さんは、

体格が良く、大柄で、頭はクルクルパーマで

目が大きく、顔立ちがはっきりとしていた。

 

 

いつも学校から帰ると、玄関の前にある赤い部屋から

 

「お帰り」

 

と出て来てくれたり、

 

人に悪さをすると、

恐い顔で叱られたり、げんこつもあった。

 

大きな体で抱っこをよくしてくれたり、

暖かく、気分が良かった。

 

 

体感で覚えているのに、

「居ない人物」だったとは?

 

 

 

おじいさん、おばあさんになって、

ボケているんじゃ?

と思ったが、

 

 

今でも現役の会長職をしているから、

ウソではなさそう?

 

 

 

長くなるので、

続く....

 

 

 

 

最後まで読んでくれてありがとうございます!