三月になりんした。
 
さびちゃんネタ、捻挫リハビリネタ、お食べネタ、
2年前のこの時期ネタ
色々書き溜めてはおるんですが、、
 
 

 

 

 

オットのママンが天に召されました。

 

 

 

オットのママンといえば、一般的にはベルメール(義母)というカテゴリーに位置付けされるかと思いますが

ワタクシにとっても、迷うことなくママンという位置付けで

日本のオカン、フランスのママンという2人の母という存在でござんした。

 

ジャポンのオカンが天上へ旅立った後

ワタクシの心に一番寄り添ってくれたのは、ママンでございました。

ママンの存在は、ワタクシの仏国生活の中でやわらかい春の日差しとそよ風に抱かれておるような、そんな存在ざました。

 

 

 

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たまたま

うちのオットが出張で仕事先に向かうため中間地点のママンの家に泊まる予定で

帰宅した際には既に旅立った後だったそうですの。

台所には灯りも灯っており

いつものように、ただいま、と言いながら家に入り

自分の部屋に荷物を置いた時に、いつもと違う何かを感じて様子を見に行くと

ダイニングのテーブルの椅子にうたた寝しているかのように腰掛けていらしたそう。

少し微笑みを讃えながら、平和で美しい表情だったそうよ。

 

 

 

ママンは至って健康で、自立していて、忖度抜きに誰からも愛され慕われている

愛らしく、美しく、そして凛とした女性でした。

84歳でしたし、いつかその日は誰にも等しくやって来ると

頭では理解していたつもりでしたけれども

もっともっと元気に長生きしてくれるはず、と心のどこかで信じていたかったので

誰もがショックを受けていたかと思います。

 

ただ、寂しく悲しいことには間違いありませんけど

ワタクシ自身はというと

ここでは到底書ききれませんけれど

彼女の人生とその旅立ちに、深い深い感銘を受けておりました。

誰か亡くなって、その後にこれほどの感銘を覚えたことは人生にありません。

 

 

 

 

 

 

おりしも、ママンの庭には

ミモザが満開で、木蓮の花がこれから花盛りに向かう

春の兆しを感じる様子になっておりました。

 

もうすぐ桜の花が咲いたら、イースターで

みんなは彼女のパテドパックを心待ちにしていました。

(ええ、現役ですよ)

 

お葬式では、4歳のひ孫から、同世代の親類や友人に至る

彼女と縁があったあらゆる世代が涙を流しておりましたが

ママンは、やっと愛する夫(うちのオットのパパですよ)や幼いうちに喪くした息子

先に天上へ旅立ってしまった家族たちに再会できたわけです。

 

たぶん、ワタクシのママ上やパパ上とも。

 

そう考えたら、また感慨深いわね。

ママ上とママンは誕生日が1日違いでござんしたが、

不思議な偶然ですけど、月こそ異なりますが命日が同じ日にちやという事に

後から気がつきました。

ママンは2年前に兄様を喪っておりますが、(彼もまたいつものように変わりなく

みんなにおやすみといってベッドに入ってそのまま旅立った)

全く同じ月の同じ日に旅立ったんですよ。

 

 

 

 

 

不思議なことに

うちのこの子は、ママンの旅立ちを感じていた節があり(思い込み補正ともいう)

ちょうどその時分はいつまでも(やっぱり今年も早咲きやった)桜の木のそばで天を見上げておりました。

 

ママンの冷蔵庫の中には、オットと食べる予定の前菜が用意されていたそうよ。

もちろん、オットの好物で彼女のスペシャリテの一つ

 

結局は近所に住まうオットの兄さん家族や、駆けつけて来たお姉さん夫婦たちと一緒にママン作、最後のお皿を分かち合う形になったんですけど

ある意味理想的なのかも知れまへん。

 

こういう場合、

ジャポンでは大往生という言葉がお悔やみなどでたまに使われがちですけれども

ちゃんとした使い方としては

喪った親族側がお悔やみの言葉に対して謙遜の意味で使う言葉であって、他者が声をかける際に使うべき表現ではないらしいわ。(そらそうやな)

 

ワタクシ的には今回のそれが大往生やという表現が正しいのかどうかわかりませんけれど、感銘を受けるほどママンの人生は最後まで凛として愛に溢れておった

今生きている人からも、彼女をお迎えに来た天上の方々からも

間違いなく

誰からも深く愛され尊敬され親しまれた人(人生)やったということでございます。

 

 

今生ではもう会うことは叶いませんが

彼岸の向こうや天上では、懐かしい顔ぶれが揃っておると思うと

いつかの再会に備えて、

 

彼らが生きたかったこの世の今日を一生懸命生き

彼らの分も楽しみたいと思うばかりでございます。