映画本 「 怖い、映画 」
第1章からの 続き。
第2章 「 1970年代 ~ ショックがいちばん。 」
この章でも 中原昌也 は 2本書いていて、両方 面白かったです。
1本目は
「『ソドムの市』 と 『大残酷』~フランス恐怖文学が現代に蘇る」。
この 2つの映画 は パゾリーニ と ヤコペッティ、共に 最後の監督作品なんですね。
『 ソドムの市 』( 75年 ) の 原作は マルキ・ド・サド が書いた
小説( 1785年 )ですが、
『 ヤコペッティの大残酷 』( 75年 )も、ヴォルテール が 書いた
『 カンディード 』( 1759年 )という 小説が 原作なんですね。
昔は ヤコペッティ には 興味が 無くて ( 今はある)、
『 大残酷 』( TSUTAYA 「 発掘良品 」 であった ) は 観てないんですが、『 ソドムの市 』 は 昔 観てます。
『 ソドムの市 』 は 権力者が 若者に 嫌がらせ、拷問をする話 なので、
気合を入れて 観たのですが、「 ウ○コ場面 」、「 処刑場面 」 ともに、大したことが無く、拍子抜けした 記憶があります。
まあ、その頃には 悪趣味映画を まあまあ観てたから ですけど。
筆者は、最後の 「 処刑を 双眼鏡で観る 権力者 」 の 現代的解釈
として、
拷問、虐殺を 遠巻きに 観る、普遍的な人間の姿、
世界の残酷を 知りながら 遠巻きに 見ている我々では?
と、指摘しています。
一方 『 大残酷 』 は 主人公・カンディード が 酷い目に遭っては逃げ、また 酷い目に遭っては逃げる、“地獄巡り” をし、
最後は 平凡な百姓 になる話のようですが、
「 映画版 」 は、中世の軍隊の戦い や、IRAのテロ、異端宗教裁判、
パレスチナ と イスラエル の戦争 など、
“時空を超えた 地獄巡り” の様相で、人間の残虐性を 楽しく?描いて
いる作品のようです。
こちらの 終盤?は、TVの ディレクター が 出てくるようですが、
それを 残酷映像 の 「 映画 」 から 「 テレビ 」 へと 変遷の事で、
事実上の ヤコペッティの敗北宣言 ではないかと 書いていました。
そして今、スマホで 嬉々として 衝撃映像を撮影する、
「 人類 総ヤコペッティ 現象 」 が 起こっているとし、
我々は 『 ソドムの市 』 で 遠くから 残酷を眺める権力者 のように
「 ネット 」 で 衝撃映像を 眺めている との指摘は 鋭いですね。
もう 1本 が
「 さまよえる独身者 ~ 『 マニアック 』 再評価 」。
この項は 『 マニアック 』 と 『 アルフィー 』、両映画の シンクロの
視点が 面白かったですね。
『 マニアック 』(80年)は ジョー・スピネル 演じる 主人公・フランク が、夜な夜な 女性を殺しまくる話で、
( スピネル は 原案、脚本、制作も。 元ネタは 「 サムの息子事件 」、
あと 『 悪魔のいけにえ 』? )
トム・サヴィーニ の 特殊効果が 有名ですが、ショットガン での
“頭部吹っ飛ばし” ( 頭の中は ハンバーガー らしい)は、記憶に
残ってないんだよな…。
でも、“頭皮剥ぎ取り” は インパクトが 大きく、覚えていますね。
一方の 『 アルフィー 』( 英・66年 未見 )は、
マイケル・ケイン 演じる 女たらしの主人公、アルフィー が、
ついに 「 本気の相手 」( 「 運命の女 」 )・ルビィ に 出会うも、
彼女は 他の男 と結婚し、1人 残される話 のようです。
筆者は 「 殺し 」 と 「 ナンパ 」 の違いこそあれ、
“社会から 浮いた 独身男が 街をさすらう映画” として 成立している
とし、
そして 感傷的な視点 ではなく、
“得ようとしては それを逃す 男たちの社会に対する達観” を 感じると書いています。
私は 『 マニアック 』 の フランク には あまり 寂しさ、暗さは 感じず、
むしろ チョット楽しそうな印象を 受けたかな。
( でも 後半は、テンパり方 が 可愛そうだったような… )
でも 似た感じで 楽しそうだった レザー・フェイス( 『 悪いけ 』 )を
想起しているだけかも しれませんが…。
「 運命の女 」 といえば、
『 マニアック 』 の フランク が逃す アンナ ( キャロライン・マンロー )を
「 運命の女 」( 破滅の方 )とする 見方は できそうですね。
最後、チョットだけ 『 タクシードライバー 』(76年) についても 書いて
いるけど、『 タクシー~ 』 も 「 独身男がさすらう 」 作品でした。
( 『 マニアック 』、『 タクシー~ 』 ともに NY が舞台 )
でも、トラヴィス は、社会に対しては “達観” より、“怒り” があったし、後半も ( 狂気で )活き活きとしてたし、
最後は 一応、英雄っぽくなっていて 2作とは 逆 でしたね。
( いつまで 続くか わからないけど )
『 マニアック 』 は 12年に イライジャ・ウッド主演 で リメイク されていて、こちらは 暗く、寂しかった 印象が あります。
イライジャ は 悪くなかったけど、やっぱり 顔がな~。
殺人鬼・イライジャ といえば、『 シン・シティ 』(05年)の方が
不気味で、凶暴で カッコよく、似合ってたな~。
あと、『 アルフィー 』 も ジュード・ロウ主演 で 04年に リメイク
されてますね。 ( リメイク版は NY が舞台 )
真魚八重子 の 「 翔んでる女が堕ちるとき 」 は、
“恐怖” と 関係なかったけど、面白かったです。
「 翔んでる女 」 は 70年代後半の 流行語で、
「 常識にとらわれず 自由に生きる 女性たち 」 の意味。
『 男はつらいよ 翔んでる寅次郎 』(79年)の “翔んでる” は、
流行語だったのと、“翔んでる女性” 桃井かおり が マドンナ だった
から 使われているんですね。
最初に 97年に起きた 「 東電OL殺人事件 」 と、
映画 『 ミスター・グッドバーを探して 』(77年)との類似について
書いています。
「 東電OL~ 」 は 殺された 東電勤務の女性 が、夜は 街娼をしていたことが話題になった 未解決事件で、
『 ミスター・~ 』 は 父親に 古い価値観を 押し付けられていた
聾唖学校の 教師・テレサ( ダイアン・キートン )が、
憧れていた 大学教授と 不倫、しばらくして捨てられ、その後 バーで 男漁りを 始める話。 ( リチャード・ギア が出てます )
この 『 ミスター・~ 』 は 小説の映画化 だけど、その小説は
73年に 起きた 「 ロズアン・クイン殺人事件 」 を 基に書かれているんですね。
あと、唐突な 悲劇的ラスト から、女性版ニューシネマ とする解釈もあるようです。
「 東電OL~ 」 は マスコミが 騒ぎ、そこには 懲罰的( 因果応報 )な
印象が働いていた との指摘は、
男性が 性的な侮蔑で 女性を 貶める事が 多いことからも
結構 的を得ているように 思えます。
当然、“翔んでる女” は 「 性的なもの 」 だけではなく、次に取り上げていたのが 最近 BSで 放送され、ブログ記事でも 見かけた
『 追憶 』(73年 シドニー・ポラック 監督 未見)。
1937年から 始まる、
政治運動に 熱心な ケイティ ( バーブラ・ストライサンド )と、
社交家で スポーツマンの ハベル ( ロバート・レッドフォード )の
「 恋愛モノ 」で、
2人は 結婚するけど、“反マッカーシズム運動” に 立ち上がった
ケイティ と、小説家、脚本家である ハベル は別れる事になります。
( 赤狩りの時代なので )
この 「 別れ 」 は “愛が無くなった” からではなく、
大きな信条( 思想 )によって “別れを 余儀なくされた” のが 切なく、
さらに 互いに 惹かれた性質 が 別れの原因にも なっているのが
悲しいんですね。
でも、ケイティ自身が “やりたいことを 選んだ” って事でも あるから、イイ終わり方ともいえそうです。
現代的な視点で この作品を 考えると、
現在の 二分化 ( 政治、政策など いろいろ)が 激しい社会なので、
結構 深い意味を 持つ作品…かもしれませんね。
最後 筆者は、70年代の社会では “翔んでる女” は
鼻持ちならない存在で、だから はたき落とされた と 書いているけど、今も そんなに 変わっていない気がするな~。
この ブログ内容 だと、第2章は 「 ホラー系 」 が 少なそうに
感じられそう ですが、
ちゃんと 「 70年代香港モダンホラー 」 や、「 マリオ・バーヴァ 」、
『 悪魔の墓場 』 についても 書かれてますよ~。
続く…かも。