「 エクソシスト2 」 (米・1977)
『 エクソシスト 』(74年) の 続編で、 SF・ホラー 作品。
初鑑賞は 20年ほど 前で、全く 覚えていないし、
ジョン・ブアマン が 監督なので 再鑑賞。
あと、ブアマン を 知るうえで、『 エクスカリバー 』(81年) を
観ておいて 良かったですね。
神父・ラモント は、メリン神父の 死の調査 を任され、
リーガン は 医師・タスキン の カウンセリング を受けていた。
催眠を使い、双方の脳波を 同期させる装置 での カウンセリング で、
ラモント は リーガン に 悪魔の存在を 感じる…。
リーガン 役、リンダ・ブレア。
ラモント神父 役、リチャード・バートン。
タスキン 役、ルイーズ・フレッチャー。
メリン神父 役、マックス・フォン・シドー。
シャロン 役、キティ・ウィン。
コクモ 役、ジェームズ・アール・ジョーンズ。
冒頭 ラモント の 「 悪魔祓い 」 で、
憑かれた女性が 「 なぜ?」 と 言葉を残した後、焼身自殺。
“掴み” としては なかなか 景気がよく、期待が 高まります…が、
その後は 地味な 感じが 続きます。
装置を使った 「 脳波の同期 」 の カウンセリング は、“テレパシー”
のようです。
テレビ に ユリ・ゲラー の “スプーン曲げ” が映っていたので、
当時の 「 超能力ブーム 」 の影響が あるのかな。
リーガン の “スプーン曲げ” や、「 絵 」 で 予知する 場面も ありましたね。
ラモント が 悪魔退治に 執着する あまり、 “悪魔の力” を 借りて
コモン を捜すのは、
悪魔と 神父の 関係性を 考えると 無理がありますね。
あと、副題の 「 Heretic 」 の意味は “異端” で、
「 悪魔の力を使った 」 ラモント を指していますね。
エンタメ や ホラー としての 見所は あまり ( ほとんど? ) なく、
脚本の リライト が 難航したせいか、話も 粗い 印象を受けます。
一応、「 悪魔憑き リーガン 」 は、回想や “悪魔の具象化” として
出てくるし、
イナゴの襲来 や、終盤の展開も それなりに 楽しいと 思いますが…。
あと、空を飛ぶ “イナゴ( 悪魔 )視点” での、大自然 と スピード感 は
結構 爽快 でした。
個人的には 悪魔 + 科学? + 超能力? な 趣は 好みでしたね。
『 エクスカリバー 』 を 見ていたおかげで ブアマン 演出が 興味深く、面白かったのですが、 人には ススメ辛い 作品です。
ここから 主に ブアマン の “演出” について。
装置を使った 「 脳波の同期 」 は、
“ライトの点滅” を使い “催眠状態” に するのですが、
この “ライトの点滅” が 表現 として 重要 でした。
その 「 脳波の同期 」で 医師・タスキン の様子がおかしくなる場面は、
リーガン と、悪魔リーガン が 重なったり、左右に分かれて 映ったり、
タスキン と 苦しむ メリン神父 が 重なったり と、
オーバーラップ 多用 の演出 で 個人的には かなり 楽しく、
タスキン の 「心臓」 を “モミモミ” する 悪魔リーガン も 可笑しいですね。
( 「 ジョジョ 3部 」 の “心臓マッサージ” の 元ネタ かな? )
“悪魔の具象化” である イナゴ が、1匹で 飛んでいる カット がありますが、
実在しないのに やけに “実体感” のある 描写 で、恐怖も感じず、
軽く 戸惑います。
あと、アフリカ の ラモント と、米国の リーガン の 「 テレパシー 」での会話場面 では、
ベットで 寝ている リーガン の顔に、“光の点滅” が。
この “光の点滅” は、「 脳波の同期 」の “催眠ライト” を
そのまま 「 テレパシー ( “力” )の表現 」 として 使っていて、“視覚的” です。
ブアマン は “不可視”、“観念的” なモノ(?) の 表現を、
「 気配・雰囲気 」 、「 よくある心象 」 で 表すのではなく、
もう少し 具体的に 視覚・映像化 して 表現している ように 思えます。
この作品で 悪魔 は 悪魔リーガン や イナゴ だし、
「 土壁の家 」 の コモン も 「 イナゴ の コスプレ 」 でした。
( イナゴ = “力” か? 現実の コモン は 科学者で 白衣姿 )
そうした “表現” が かえって 現実 と 非現実 を 曖昧にし、
混乱から ストレス を 感じるんですね。
その 現実 と 非現実 の 曖昧さ ( 整合性の無さ ) が 顕著なのは、
アフリカ に行った ラモント が、「 土壁の家 」 で コモン に 会う場面。
ラモント が 「 針の床 」 に 倒れると、なぜか 「 イナゴ 研究所の床 」 に 倒れていて、
そのまま 何事もなかった ように 話が 進みます。
この 夢から覚めた様な 唐突な 場面転換 は、
『 エクスカリバー 』 の 「 聖杯を 手にした場面 」 と同じで 面食らいます。
最後の対決も、「 家が崩れる程の騒ぎ 」 なのに、周りに 人はいません。
しかし 決着が付き、ラモント と リーガン 2人が どこかへ 去っていくと、
現実に戻った ように タスキン の周りに 人々が 現れます。
この “現実に戻った” ような 描写が あることで、
去っていく 2人に、「 神話性 」、「 神秘性 」 が生まれるのですね。
あと、「 悪魔祓い 」 と言いながら、ラモント が 「 神に祈る 」 場面は
少なく、
最後の対決 も 前作同様、
結局 「 力技 」( “現実” ではないけど ) と、リーガン の “力” で、
“神” は 役に立っていない感じで 「 宗教色 」 は薄いです。
そして ラストカット では
ラモント と リーガン、2人を 見送った タスキン の 顔に “光の点滅” が…。
それは 2人 と、タスキン が “繋がった( 力 を得た )” という 表現で、
人類の 「 進化 」( 超能力 ) と 「 善の誕生 」 を 思わせる 結末です。
( 凶暴なイナゴ に対する 良いイナゴ が生まれた )
それと 去っていく ラモント は、
『 エクスカリバー 』 の最後、 船で去る アーサー と 演出が 似ていますし、
“光の点滅” も、
「 エクスカリバー( 聖剣 )」 の “エメラルドの光” と同じ、
“力” を表現しています。
なので ブアマン は この作品を、
ラモント を “英雄” にした 寓話的な 「 英雄譚 」 として 描いたのではないか、と思いました。
( 『 エクスカリバー 』 の方が 作られるのが 後だけど )
なので ホラー、宗教 要素 が 少しだけ ある、
「 SF・ファンタジー 」 として 観ると 楽しめるかも しれません。