「自分の中に仏性がある」
これを信じられる人と信じられない人がこの世にはいらっしゃいます。
そして信じられない人が圧倒的に多いといいます。
日本会計人の父、飯塚毅先生は人生の一回性を常に強調されました。
著書 『自己探求』
-本当の貴方はどれですかー
はしがき
あなたも御承知のように人生というものは1回きりのもので、しかもせいぜい100か100年以下の長さしかありません。この短い人生の中を、自分はどう生きたら良いのかは、どなたにとっても重大問題だろうと思います。その重大問題に的をしぼって、あなたの考え方の参考にでもなれば、と願って、TKCの社内報『とこしえ』に毎月発表してきた私の考えを集めて1冊にしたのが本書です。
日本禅の中興の祖といわれる白隠禅師は、その著書『薮柑子』という本を亡くなった母の50年遠忌の供養のために1日半で書き上げたと告白していますが、その中で出家の決意をしたくだりのところで、「然るを況んや我輩塵芥の微?、鄙賤の残質をや」(そうであるのに、まして、自分のような塵芥のような微賤な者が、どうして出家せずにいられようか)と、文字通りの謙虚さで自分を表現しています。この徹底した謙虚さは最澄・伝教大師も同じですね。彼は37歳の時、廷暦4年7月、大僧という国家資格を獲得した後で突如、比叡山に登って樹下石上の修行体制に入ったのですが、その時に作った願文があります。この中で彼は「ここにおいて、愚が中の極愚、狂が中の極狂、塵禿の有情、底下の最澄、上は諸仏に違し、中は皇法に背き、下は孝礼を闕けり」と、徹底した謙虚さと自己批判に立って、短い願文を書いています。両雄とも、これが正直な本音だったのですね。深く学ぶべきだと、私は、思っているんです。
平成6年5月吉日
飯塚 毅
徹底した謙虚さと自己批判…これを何十年聞いてきてもできない人…
本当のところ、誰もができるものではないのかもしれません。
しかし、そうありたいと願う心は持てるはず。
ところが、謙虚さを持てないことに気づかない方がいます。
まして強い意思を持って謙虚になることを拒絶する人もいます。
そうした驚くべき事実があるこの世の中です。
釈尊には、「但し痴迷無知の者はのぞく…」という言葉もあるそうです。
自身の仏性を信じることができない深い迷い。
「自分なんかダメだ。」という否定を肯定する悲しみ。
これを祓い仏性を引き出す善の実践が会計事務所の究極の使命ではないか。
飯塚先生の励ましを読むと、そう思わざるを得なくなります。
すべては中小企業の「存続と成長と発展」のため!
いつもお読みいただきありがとうございます。









