亡国の競技。芝を維持する農薬で河川は死ぬ。

18歳のガキがゴルフで賞金王。

18歳 18歳、人の価値って 金で決まるの?

賞金王だから偉いのか。18歳=金によらない人生があるだろう。

こんなことを最大であるかのようなニュースソースにするメディアもどうかしている。

ない者のひがみではない。18歳を慎重に報道するよう願う

愛のない生活は地獄のようなものです。

反対に、愛のみなぎる生活は人間を生き生きとさせます。

これは人間が生きるうえで是非とも必要です。

「愛は勝つ」、とか「愛は救う」、とか勝敗を決めるようなものではありません。

しかし、確かなことは、愛は生活には張りを与え、なすこと全てに意味を与えてくれます。

不思議なことですが、その人にとってつまらないものはなくなります。

「愛があれば苦労がない」と言えるでしょう。苦労が少しも苦労ではなくなるのです。

愛がなければ、すべてが苦労です。足を一歩動かすのも苦労になるのです。

わたしたちは愛されています。



写真:T.I$Tillichのブログ
たかがワイン4杯ぐらいで酔っ払って、玄関で転んで、

玄関の戸のガラスをひじで割ってしまった。網(あみ)が入っていたから怪我はなった。全体にひびが入った。

その網が入っているというのがくせもの。次の日ガラス屋さんに来てもらって金額を聞いた。

網が入っているものだから高いと言う。金額を聞いて、メン玉が飛び出た。

公宅だから基本的に復元しなければならないし、致し方ない。

その分があればあれも出来る、これも出来る、あれも食べられる、これも食べられる。

何よりも、すぐに北海道に帰って、往復できる。それでもおつりがくる。

嗚呼、酔っ払いの悲劇

わたしたちは、毎日ついついぞんざいに時を過ごしてしまいます。

何か特別に良いことがあったから、新しい一日が始まるのではありません。

異常な事態に遭遇しなかったから、良い一日を迎えることが出来るのではありません。

平凡な日を過ごしても新しい、希望の一日は来るのです。

多分、「明日がある」という甘えから来ているのでしょう。

「嵐が丘」でスカーレット・オハラが最後に言います。「明日考えよう」、若いとき、これをまねました。

でも、それは現実逃避の何ものでもありません。「明日」はないかもしれません。

だから、今日という日をもう少し丁寧に生きたいと思います。

「明日」という保証は、誰にもありません。ある、と断言できないのです。

いまは完治していますが大病をした者として、 「あるかもしれない」、「ないかもしれない」とその緊張が大きく感じます
だんな【旦那】」 はほとんど「主人」という意味で使われているけれど、

つい最近まで、「めかけの主人」にも使われた言葉なので不適切だ、というコメントをしたら、

それっきりブロックされたということがあります。判る気もするけれど。

妻が犬、猫ではあるまいし、「主人」と呼ぶのはやめたほうがよいでしょう。

家の奥に しまっているわけではないですから 「家内」と呼ぶのもやめましょう。

夫、妻」が最良の表現だと思います。


ていねいに生きる。生死をさまよい、生きることを許された人にして始めて言えるでしょう。ずっしりと響く言葉です。もう完治していますがわたしはその一人です。

いま病と戦い生きようとしている人は数多い。頑張ってほしいです。時に生が訪れてくれることがあります。勇気を持ちましょう。

このような経験をしたことのない人にそれを知れ、と言っても無理でしょう。確かなことは、これから何十年生きようと、今日という日は二度と来ません。

「ありがたい」希少価値を持った日ですから。嫌なことがいっぱいあったとしても、こんな日はなければよかったと、カレンダーから抹殺したいような日でも、ありがたい日であったことに間違いはありません


写真:T.I

$Tillichのブログ
 「ブログ」の意味を調べた。

「ブログとは、個人や数人のグループで運営され、日々更新される日記的なWebサイトの総称。内容としては時事ニュースや専門的トピックスに関して自らの専門や立場に根ざした分析や意見を表明したり、他のサイトの著者と議論したりする形式が多く、従来からある単なる日記サイト(著者の行動記録や身辺雑記)とは区別されることが多い。」

 こうでなければならないはずがなく、これは一般的な現象を説明していると思う。

これによれば、日々更新されなければならない。わたしは週一ぐらいだから駄目。

自分の意見には、評価されたり議論が起きる。すると、「コメント」を初めから設定していないのは駄目。

単なる、日記サイトでは駄目。
 スイマセン

富士通株式会社 サンプル

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 一升瓶の酒を半分飲んでしまったときに、「アア、もう半分しか残っていない」と見る人と、「まだ半分の残っている」と考える人があります。あなたはどっちでしょう。

同じように、生まれてから数十年生きて迎える今日という日を、「自分の生涯のいちばん年老いた日」と考えて暮らすこともできれば、「いちばん若い日」と思ってすごすことも出来る。

あなたはどっちでしょう。

なぜなら、今日よりも自分が若くなることは絶対にあり得ないからです



写真:富士通株式会社 サンプル

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 「変え得るものに対しては変える勇気を持ち、変え得ないものに対しては、受け容れる心の静けさを保ち、この両者を見分ける英知を絶えず祈り求めよ」とはラインホールド・ニーバーも言葉ですが、

わたしたち人間には「四季」を変える力などありません。春が来たら春を喜び、冬が来たら冬をありがたくいただくことも大切です。

冬なのに、肩を露出する最近の女性アナウンサーやタレントの服装はおかしいです。何も魅力的だとは思わないです。この人少しオカシンじゃないの、と思います。

そのことのために暖房を強くし、その分、温暖化が進みます。

冬だけではなく、それは人生のいろいろなことを意味します。冬が来ているのにそれに抵抗して夏にすることは出来ないし、夏にしてはいけないのです。

人生の冬は様々ですが、それもしっかり受け止めましょう



明日土曜日から火曜日まで四国へ出張です。


写真:富士通株式会社 サンプル

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