あすなです。こないだ8月に行ったフィリピンツアーの報告会をして来ました。
フィリピンギマラス島を支援するきっかけになり、かつ毎回いろいろお世話になっている滋賀県K市の国際交流協会の人達が来て下さいました。
その中で印象に残ったのは、国際開発・支援活動において「洗脳」は正当化されるか、という話です。
今回、BEPPINEでは村の自然環境保護に寄与する活動の一環として
デイケアセンター(幼稚園)での環境教育と、子どもと一緒にゴミ拾いを行いました。
村の水場や道なんかにゴミがたくさん捨ててあるのを何とかしたいという目的です。
行く前から、環境「教育」って何するよって議論がありました。
劇とか紙芝居の方が分かりやすいけど、こっちの考えを押し付けることはしたくない。
ゴミの分別やポイ捨て禁止を教えるとしたら、なんでそれをするのかまで説明するのか。
村人が捨てたゴミがどの程度環境破壊の原因になっているのか分からないのに、そんな説明できるのか。
とかいろいろあって、結局、自然に返る果物とか野菜とかの生ゴミとビニールは分けないと駄目っていうのを
人形(?)使ってやんわり示しただけでした。
現地でやってて、正直、うーーーん・・・
って感じでした。
けど、その方法が環境教育に関して何かしたいけど、押し付けたくないっていうジレンマの折衷案だったということです。
その話を国際交流協会の方達にしたら、そのやり方じゃ定着しないと。インパクトも薄いというお話で、
「自然を大切にしよう、みたいな歌を作って子どもに教えたら良いやん」
っていう案を出してくれはりました。
そこで私はなんとなく賛同出来なかったんですが、
なぜなんでしょうかね。
小学校とかで歌わせられた歌に良い思い出が無いんでしょーか?
「歌」
って、聖歌とかコーランとかお経とか宗教的なものと結びついてたり
政治的に、軍歌とか高揚心や愛国心を高めるのに利用されたり
するほど、すごい影響力を持ってるものですよね。
コーランの響きが美しいからイスラム教に改宗した人も昔は相当居たらしいし。
話を戻すと、
それって「洗脳」じゃないのかという議論になりまして、
「いやいや、洗脳も時には必要だよ」とか
「洗脳じゃなくて啓蒙だ」(どう違うのか私にはよく分かんないです)とか
意見が飛び交いました。
結論は「現地の人達と一緒に作った歌ならいーゃん?」みたいな感じやったんですが、
その後、「なんで国際開発・支援の現場では「洗脳」は嫌やなって感じるのか」疑問に思えてきて
日本だって、洗脳につながる情報で溢れてるわけで
マスメディアの情報なんか良い例やし
企業の広告とかその商品が良いって洗脳させたら売れるし
魚の歌作ってスーパーで流して売り上げ上がった話も実際あったし
国際交流協会の1人は、まさに今排水処理のコンサルとして働いてるから、企業の社長とか重役を洗脳したら契約取れるっていう営業を日々していて
それは悪いことでも何でも無い。
さて
フィリピンで同じことが言えるのか。
結局、ここにも彼らと私達を無条件に「平等」として見ることの危うさがあるのではないかと思います。
そんなことを考えていると、ますます慎重になってしまう自分はやっぱり国際開発には向いてないのかなぁー
と思ったりもします。笑